疲れた心に効く、100本の広告コピー

テレビCMを見る家族

3度の飯より本が好きです。1日1冊、かならず読んでいました。ところが、あるとき病気をして、寝たきりで本もろくに読めなくなってしまい、その習慣がとぎれてしまったことがあります。

そうしたら、言葉との唯一の接点はテレビになりました。それまではテレビなんて、ほとんど見なかったのに。

そんな生活のなかで、ときどき胸にぐさりときたり染みいったりする言葉とめぐりあいました。ほとんどはテレビCMのコピーです。

たとえば、ホンダの、

「(前略)たいてい、努力は報われない。たいてい、正義は勝てやしない。たいてい、夢はかなわない。(中略)けれど、それがどうした。さあ、昨日までの自分を超えろ(後略)」

あるいは、キリンビバレッジの缶コーヒーのCM(出演とナレーションは江口洋介さん)。

「(前略)父さんはホームランを打たない、ゴールネットもゆらさない。(中略)仕事にはバントをする人が必要だ。パスを出す人が必要だ。父さんは見えない仕事に誇りを感じている。心に火を。(後略)」

こうして文字に起こすと、どうしてもインパクトが薄まりますね。テレビ広告では、映像や音楽がになう役割もかなり大きいですから。ですが、これらのコピーを考えた方が、一つひとつの言葉を生みおとすのにどれほど苦心したか、知恵をしぼったかは容易に想像がつきます。膨大な時間をかけて、言葉を丹念に磨きあげていったことでしょう。

ぼくが生まれてこの方、耳にしてきた広告コピーのなかで、とくに印象に残っているものを100個あげてみます。80年代に生みだされたコピーが中心です。20歳以前の、感受性がイキイキしていたころに聞いたものですから、いまも心に残っているのでしょう。大人になって、テレビを見なくなったので、最近のものはありません。

短いセンテンスでものごとを表現する極意が、ここにあります。

仕事がテーマの広告コピー

 

私、会社なんて酔わなきゃ行けません。
(1989年、サントリー)

 

会社を代えることで、活躍する人もいます。
(1980年、学生援護会)

 

彼よりも
課長の顔を見ている時間が
長いのは不自然だ。
と気づいた京都のお庭でした。
(1992年、東海旅客鉄道)

 

「何かやりたい」と
「何かやる」は
ぜんぜん、ちがう。
(1992年、三和銀行)

 

働いているだけでは、プロになれない。
(1987年、リクルート)

 

広告につられて、転職する私ではない。
(1986年、リクルート)

 

サラリーマンという仕事はありません。
(1988年、セゾングループ)

 

出世するより、成功するほうが、偉い。
(1992年、リクルート)

 

ああ、自分がモッタイナイ。
(1985年、リクルート)

 

右のポケットに夢、
左のポケットに辞表。
(1990年、大塚ベバレジ)

 

私の場合、仕事は娯楽です。
ちょっと大変ですが。
(1987年、リクルート)

 

楽しい仕事は、ラクじゃない。
(1985年、リクルート)

 

流した汗は、むくわれる。
1992年、ポカリスエット)

 

偉い人は、おもしろい人でもある。
(1988年、講談社)

 

働いているお父さんより、
遊んでいるお父さんのほうが、
好きですか。
(1985年、サントリー)

 

男に生まれて、ヤリガイ満々。
(1986年、リクルート)

 

ビジネスがいちばんロマンチックだ。
(1986年、日本経済新聞社)

オトコ関連の広告コピー

 

スカートも哲学書も、
めくるのは十代だった。
(1988年、サントリー)

 

息子よ、人生は舗装された道だけではない。
(1980年、トヨタ)

 

父親とうまくいかない人って、
上役ともダメみたい。
(1984年、伊勢丹)

 

男にはワケがある
(1985年、資生堂)

 

こどもになれますか、オジサン。
(1984年、ソニー)

 

父はこの年齢のとき、何をしていたか。
ふと、気になってしまった。
(1980年、ビッグジョン)

 

男をやっていると、
喉が渇くことが多い。
(1995年、キリンビール)

 

黙って、唄え。
唄ったら、泣け。
泣いたら、逃げろ。
そう、たぶん、時代が悪い。
それだけのこと。
(1988年、マザー&チルドレン)

 

ケンカはシラフでするものだよ。
(1988年、サントリー)

 

僕は誰にも似ていない。
(1985年、サントリー)

 

上手に年をとらないと、
赤の似合う男にはなれない。
(1980年、トヨタ)

 

アホでもいいよ、元気なら。
(1988年、扶桑社)

オンナがテーマの広告コピー

 

あなたのヌードは、ちゃんとエッチですか?
(1992年、マチス化粧品)

 

笑ってごまかせるのは、
いくつぐらいまでだろう。
(1980年、ぴあ)

 

四十才は二度目のハタチ。
(1992年、伊勢丹)

 

亭主元気で留守がいい。
(1987年、大日本除虫菊)

 

女は、仕事で死んだりしない。
(1992年、ワールドゴールドカウンシル)

愛がテーマの広告コピー

 

愛だろ、愛っ。
(1995年、サントリー)

 

男の数だけ愛がある。
(1992年、日本生命)

 

すこし愛して、ながく愛して。
(1982年、サントリー)

 

恋が着せ、愛が脱がせる。
(1989年、伊勢丹)

 

キミが好きだと言うかわりに、
シャッターを押した。
(1980年、オリンパス)

 

パジャマになって話したくなる人が、
好きな人です。きっと。
(1991年、日本電信電話)

 

あなたなんか大好きです。
(1988年、西武百貨店)

 

こんなに憎しみ合うのは、
あんなに愛し合ってたからですか。
(1990年、パルコ)

 

指輪はときどき首輪になる。
(1989年、サントリー)

 

料理の味は、
よくわからなかったけれど、
あの人がいたから、
おいしかったのです。
(1986年、セゾングループ)

 

恋は、遠い日の花火ではない。
(1995年、サントリー)

家族をテーマにした広告コピー

 

僕が母のことを考えている時間よりも、
母が僕のことを考えている時間の方が
きっと長いと思う。
(1992年、日本電信電話)

 

「忙しいなら無理して帰らなくていいよ。」
は、ほとんどの場合、嘘です。
(1996年、東日本旅客鉄道)

 

突然の、親孝行をお許しください。
(1987年、岩田屋)

 

家族の顔を想いうかべると、
生きて行けると思う。
(1987年、味の素)

 

話さなくてもわかる、
話せばもっとわかる。
家族だからね。
(1992年、味の素)

 

姉の胸が膨らんできた頃から、
兄弟喧嘩は少なくなりました。
(1987年、味の素)

 

一番のなかよしは、母でした。
(1989年、JR東日本)

 

あなたが恋した時のこと教えてください。
お母さん。
(1988年、味の素)

 

ママはまだ女性として美しいかしら。
(1991年、キューピー)

 

ご主人を、
男性として見たことがありますか。
(1982年、百又)

 

いつも、仕事の日や、
家族の日ばかりだから、
父の日ぐらい、
パパの日にしてあげたい。
(1988年、岩田屋)

 

家を出ることに、
最後まで反対した父が、
いちばんに電話をくれた。
ジワッと、元気が出た。
(1995年、第二電電)

日常生活にまつわる広告コピー

 

どんな病気も、
愛でなおるんだったらいいのに。
(1995年、小野薬品工業)

 

ひとはみんなでおもしろい
(1983年、サントリー)

 

ひとは、引力。
(1982年、西武百貨店)

 

あそんでねむれ。
(1991年、パルコ)

 

ほしいものが、ほしいわ。
(1988年、西武百貨店)

 

遊び方は生き方です。
(1996年、東日本旅客鉄道)

 

せっせ、せっせと働いて、
キャッキャ、キャッキャ、と遊ぼうよ。
(1983年、学生援護会)

 

花を見過ごしている人が、
花の写真を見てしみじみとする。
(1991年、キヤノン販売)

 

見栄をはると肩がこる。
(1985年、ピップエレキバン)

 

疲れている人は、いい人だ。
(1992年、武田薬品工業)

 

ひとりごとが多いのは、
東京にばかりいるからじゃないかな。
(1993年、九州旅客鉄道)

 

なんにもしないをするの。
(1991年、西武百貨店)

 

おとなから幸せになろう。
(1992年、ブライトンホテル)

 

生まれた以上は、幸せになりたい。
(1981年、日本テレビ)

 

私だって、
日本経済を支えているひとりなんだから、
もうすこし、幸せにしてほしい。
(1991年、サリダ)

 

あなたは、もっと、得していい人です。
(1991年、セゾン)

 

今までのことはなかったことにしようっと。
(1993年、西武百貨店)

 

そろそろ愉快な人になろう、と思う。
(1988年、ラコステ)

 

なんでもない、ほど、難しい。
(1982年、オンワード・J・プレス)

 

今日は、明日の思い出です。
(1992年、ソニー)

人生訓たっぷりの広告コピー

 

世の中、バカが多くて疲れません?
(1992年、エーザイ)

 

どうして、みんな、
馬鹿のふりして生きているのだろう。
(1990年、小学館)

 

毎日生きてりゃ、腹も立つ。
(1995年、サントリー)

 

食卓で、はじめて
「人生のかけひき」を学んだ。
(1993年、味の素)

 

いろいろ奪うと、
大人ができる。
(1996年、東芝EMI)

 

大統領たちも、
夜は、子供のように夢を見る。
(1982年、ダイナースカード)

 

故郷のことを話そうとすると、
みんな嘘になってしまうような気がする。
(1981年、西友)

 

うまくしゃべるほど、
ウソになってしまうなあ。
(1987年、パルコ)

 

お金がないと生きて行けない。
人間は弱いね。
(1993年、さくら銀行)

 

働けど、働けど、ボクんち、せまい。
(1993年、フジテレビ)

 

どうして、僕たち、
アホのまねして笑っているのだろう。
(1990年、小学館)

 

考えて、考えないことにした。
(1988年、パルコ)

 

ずーっと知らないという、幸福。
(1991年、岩田屋)

 

失敗より、
諦めのほうが、
ほんとは恐い。
(1989年、日本電気)

 

諸君。
学校出たら、勉強しよう。
(1983年、日本経済新聞社)

 

そのまま、
しみひとつない人生を、
送るつもりですか。
(1993年、三共)

 

敵が多い。だから私は幸せだ。
(1980年、ピエール・カルダン)

 

自分の欠点を人と一緒に笑えるのは、
その人の長所です。
(1995年、セゾン生命保険)

 

負けても楽しそうな人には、
ずっと勝てない。
(1995年、セゾン生命保険)

 

人には迷子になる時間が必要だ。
(1983年、近畿日本鉄道)

 

潰されても、潰されても、
人はそれでも再生できる。
(1993年、リクルート)

 

せんせい。
にんげんはなんのためにいきてるんですか。
(1990年、西日本鉄道)

 

ゆたかになったら、
その後、どうしますか。
(1991年、日本興業銀行)

 

以上です。

たぶん100個あると思います。もし、過不足があってもご容赦ください。

photo credit: Humphrey King via photopin cc

2 COMMENTS

ノブ太郎

こんにちは。

広告コピー100選、全部見させていただきましたが
どんな企業がそれを言っているか想像してみたら
面白かったです!

私ではなかなか思いつかない記事の内容だったので
勉強になります。

ありがとうございました!

父花

ノブ太郎さん、こんばんは。

100個全部に目を通していただいたとのこと、ありがとうございました。

コメントもありがとうございます^^

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