20世紀の哲学~実存主義以外

量子力学の発展に貢献した科学者たち

20世紀に入ると、たくさんの哲学がいっせいに開花した。多すぎて混乱するくらいだ。よく見ると、ほとんどはどこかで聞いたことのある、過去の哲学の再興だ。でも新しい時代の新鮮な血液をとりこむことで、ふたたび表舞台に登場するにふさわしいブラッシュアップがなされている(はず)。

駆け足で見てみよう。

実存主義以外の、20世紀に現われた哲学

新トマス主義は、トマス・アクィナスの伝統につらなる思想をもう一度とりあげている。いわゆる分析哲学、論理実証主義は、ヒュームイギリスの経験主義や、アリストテレスの論理学をとらえなおした。

マルクス主義の流れをくむ新マルクス主義(ネオ・マルクス主義とも)にも、たくさんの潮流が登場。ネオダーウィニズムというものも登場した。フロイトの精神分析は、20世紀のあまたの哲学に無視できない影響をもたらした。

それからもうひとつ、忘れてはならない流れがある。唯物論だ。

唯物論から生まれた量子論で、哲学はついに素粒子の世界へ

唯物論のルーツは古い。現代科学には、ソクラテス以前の哲学者の努力を引き継いでいる分野がいくつもある。

たとえば、すべての物質のもとになっている、それ以上は分けられない元素探しはいま現在もつづいている。いまだに、物質とはなにかをだれもきちんと説明できないのだ。

それでも現代の自然科学——原子物理学、生化学、量子力学はとても魅力的で、とくに量子力学からは人生哲学を汲みとっているひとも多い。

ヒマワリ

記事のトップ画像は、1927年開催の物理学会議(ソルベー会議)のときの集合写真です。量子力学の発展に貢献した科学者が一堂に会しています。ハイゼンベルク、シュレーディンガー、ボーア、アインシュタインと錚々たるメンツ。

人間存在(実存)に対する問いかけは、人間に進歩をうながす

実存に関する問いは、1回こっきりで「はい、これです」と答えが出るようなものではない、とサルトルはいう。哲学の問いというのは結局、それぞれの世代が、それぞれの個人が、何度も何度も新しく立てなければならないのだろう。そういうときにこそ、哲学の問いを立てるときにこそ、僕らは生きているという実感を味わうものだ。

それに人間は過去、大きな問いの答えを探していて、ついでにさまざまな小さな問いの正しい答えをいくつも発見している。科学や研究や技術はみんな、哲学の思索から生まれた。人間を月に連れていったのも、もとはといえば存在に対する人間の驚きだったのだ。

アームストロングは月面に足を降ろしたとき、こういった。

アームストロング「このひとりの人間の小さな一歩は、人類の偉大な飛躍だ」(ニール・アームストロング)

彼は、自分の経験には自分より前に生きたすべての人の経験がこもっている、といいたかったのだ。彼がなしとげたことは、彼だけの手柄ではないし、現代人だけの手柄でもない。

アポロ11号の月面着陸。1969年7月21日、アームストロング船長は月面を歩いた史上初の人物となった。写真は船長が仲間を撮影したもの。

種々の課題を抱える現代社会と哲学の役割

僕らの時代は新しいさまざまな問題に直面している。たとえば、いちばん深刻なもののひとつが環境問題だ。

環境問題とエコロジー

だから、20世紀の重要な哲学の流れのひとつはエコロジーである。

エコロジストたちは、僕らの文明はまちがった道を歩んできた、地球という惑星の存続に矛盾するようなコースをたどってきた、と主張する。環境汚染や環境破壊の具体的な結果を分析するだけでなく、問題をもっと掘りさげて、ヨーロッパの思想はどこかおかしい、といっている。

エコロジーは、たとえば進歩の思想を問題にする。進歩の思想は、人間は自然界のトップ、つまり僕らは自然界の主人なのだということを踏まえている。この考え方がまさに命の惑星全体を危険にさらすかもしれないのだ。

進歩の思想を批判するのに、多くのエコロジストは思想やアイデアを、インドなどのほかの文化から借りてくる。僕らが失ったものが見つかりはしないかと、自然民族と呼ばれる人びとの思想や生活を研究する。

最近では、科学の内部から発言するひとも出てきて、僕らの科学的な思考は「パラダイムの変換」を迫られている。科学的思考の枠組みをおおもとから組みなおさなければならない、ということだ。こうしたことはすでに、多くの分野で豊かな成果をあげている。

レイチェル・カーソン

レイチェル・カーソンは、1960年代に環境問題を告発した生物学者。農薬の危険性をとりあげた著書『沈黙の春』(Silent Spring)は、半年で50万部を売りあげるベストセラー。本書が世間に与えたインパクトは強烈で、環境問題そのものに人びとの目を向けさせ、環境保護運動が始まるきっかけとなった。ケネディ大統領も強い関心を示し、調査を命令。結果、DDT(有機塩素系農薬)の使用は以降、全面禁止となった。

オルタナティブ運動

「オルタナティヴ運動」も最近よく耳にする。ものごとをトータルに考え、新しい生活スタイルをつくっていこうとする運動だ。たとえば次のようなものがある。

  • オルタナティブ・テクノロジー:石油の代わりに風力や太陽光を利用する再生可能エネルギーの活用技術
  • オルタナティブ・メディスン:西洋医学に代わり、漢方や中医学、アーユルヴェーダ、ヨガ、ホメオパシーなどの伝統医療、民間療法を推奨
  • オルタナティブ・ワーキング:労働者側の都合のいいように働く場所、時間が決められる就業形態
  • オルタナティブ・スクール:企業や社会にとって都合のいい人間を育てるための従来型教育から離れ、子ども一人ひとりの個性を尊重し、才能を伸ばそうとするとりくみ
  • オルタナティブミュージック:商業主義的な音楽とは一線を画す、普遍的な価値を求める精神やアンダーグラウンドの精神をもつ音楽シーン

オルタナティヴとは「もうひとつの選択」という意味だ。いま僕らが採用しているやり方よりさらにいい別のやり方はないか、という問題提起の姿勢を表わしている。けれど人間のすることはすべて玉石混淆だ。選り分けなければならない。

ニューエイジ、オカルティズム、新宗教

僕らは新しい時代「ニューエイジ」に近づいている、という人がたくさんいる。でも新しければなんでもいいわけではないし、古いものはなんでも捨てればいいわけでもない。だから哲学が必要なのだ。人間の思想の歴史を知れば、石ころと宝石の見分けもつく。そうすれば人生の方向が見つけやすくもなる。

哲学を知っていれば、ニューエイジの旗印を掲げる多くのものが、ただのイカサマだと見極めることもできるだろう。なにしろ先進国ではここ30年、「新宗教」「新オカルティズム」と呼ばれる怪しげなものがやけに幅をきかせている。たしかに退屈な日常を超えたなにかを教えてくれるし、ひとは神秘的なものや異質なものに憧れを感じる生き物だから、一大産業になっているほどだ。

 ウッドストック・フェスティバル

1969年にニューヨークで開催されたウッドストック・フェスティバルは、ニューエイジの最初の具体的な現象とされる。© Derek Redmond and Paul Campbell – Derek Redmond and Paul Campbell: File:Woodstock redmond crowd.JPG

ニューエイジ、オルタナティヴ、スピリチュアル、オカルト、超心理学、心霊現象、霊能……。キリスト教が意味を失った一方で、世界観の市場には、まるでキノコみたいににょきにょきと生えた、新手の商品が売りに出されている。でも全部まやかしとペテンだ。こういうものにハマる人びとは、どこかで道を踏み外したのだ。

僕らは不思議の物語のなかを歩きまわっているのだ。目の前には明るい太陽の光に照らされた、すばらしい創造の世界が広がっている。これだけでも信じられないことだ。どうして占い師にお伺いを立てたり、エセ科学に首をつっこんで、ドキドキしたがる必要があるのだろう。

世界がつながり、国境は消え、僕らは惑星文明を生きる

つながる地球

ルネサンス以来、世界は爆発的に広がっていった。現代人は世界中を旅する。全世界がひとつのコミュニケーションネットワークで結ばれている。哲学者たちが世界を知ろうとしたり、ほかの思想家と会おうとすれば、馬や馬車で何日もかかっていたのはそう昔のことではない。なのにいまや、この惑星のどこにいても、ありとあらゆる人間の経験をコンピュータの画面に呼びだすことができる。

問題は、歴史は終わりに近づいているのか、それとも逆に、僕らはまったく新しい時代のとば口に立っているのか、ということだ。おそらく後者だ。僕らはもう、ある町や国のたんなる住人ではない。僕らは丸々ひとつの惑星文明を生きている。

 

つづく

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