チャールズ・ダーウィンのことばだ。あらゆる本物の哲学者たちのことばでもある。
のちに「進化論」として結実することになる、自然や生命の進化の法則の手掛かりを、ダーウィンが両手でしっかりつかんだのは27歳のときだった。けれども、それが『種の起源』として出版され、世間の知るところとなるまで優に20年以上の歳月を要した。
ダーウィンは50歳になっていた。
もくじ
哲学の大きな3つの問いとその答え
哲学では「問い」に答えることより、「問い」を立てることに意義があるとされる。
そうはいってもぼくたちは、過去の偉大な哲学者たちが脂汗をかきながらひねりだしてきた「答え」を知りたい。自分なりの「問い」に対する「答え」を見つける際の道しるべにしたいと考えるからだ。
だから、ここでは、哲学における普遍的テーマといっていい3つの「問い」を紹介する。また、これらの「問い」については、すでにいちおうの解決が見られているので、先達たちが残した「答え」も簡単に書き添えておこう。
ただし、「答え」を読む前に、あなた自身の頭でその「問い」について、よく考えてみてほしい。
第1問「人間とはなにか? 人間と動物の違いとは?」
人間は感情の動物だ、というような話を耳にすることがよくあるが、動物だって喜んだり悲しんだりする。犬は飼い主が現れたらしっぽを振ってうれしがるし、子象が死んで、象の母親が涙を流す映像をBBC(イギリス国営放送)で見かけたこともぼくにはある。
さらに動物たちは、五感でとらえたものについて考えることだってできる。雨だ! あの橋の下で雨宿りしよう、という程度の意志決定なら、ハトやスズメだってしている。
でも、人間と動物とのあいだにはあきらかな差異がある。
動物たちには、雨が降る理由を考えてみることはできない。つまり、形而上の思索をおこなうことはできないのだ。だから、人間と、あるいはほかの動物と自分との違いについて考えることもできない。これが両者をへだてる、決定的なミゾだといえるだろう。
なお、カント的にいえば、道徳律にしたがって生きようとする自由意志があるかどうかが人間と動物を区切っている、ということもできる。動物はただ自然法則にしたがって毎日を生きている。
第2問「人間はいかに生きるべきか?」
一人ひとりに与えられたすべての能力と可能性をめいっぱい花開かせ、ぞんぶんに利用してはじめて、人間は幸せになれる。
第3問「神様はいるのか?」
いまだ議論の余地はあるものの、歴史上のほぼすべての哲学者が、理性では神がいないことを証明できない、と認めている。
おわりに
どうだっただろうか。あなたがたどりついた「答え」は、ここにある「答え」と一致しただろうか。まるで違っていただろうか。
どちらにしても、あなたは間違っていない。「答え」は人間の数だけあるのだから。
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