17世紀末~18世紀のフランス啓蒙思想

ベルサイユ宮殿

ヒュームのつぎに哲学体系をつくった、偉大な哲学者はドイツのカントだ。

が、カントが活躍した18世紀にはフランスにも重要な哲学者がたくさんいた。カントの話に入るまえに彼らのことを紹介しておこう。

18世紀フランスの重要な哲学者は、モンテスキュー、ヴォルテール、ルソー

18世紀前半、ヨーロッパ哲学の中心はイギリスだった。中ごろにはフランス、世紀の終わりにはドイツが中心となる。西から東へ移動していくのである。

18世紀半ばのフランスで活躍したビッグネームは、モンテスキュー、ヴォルテール、ルソーだ。みなフランス啓蒙主義者と呼ばれ、ある共通する考え方があった。

左からモンテスキュー、ヴォルテール、ルソー。

まず啓蒙思想についてだが、これは旧弊打破の革新的思想である。

人間的・自然的理性(悟性)を尊重、宗教的権威には反対して人間的で合理的な思惟の自立をめざしていた。そのために正しい律法と教育が必要で、それによって人間生活の進歩や改善、幸福の追求ができるとする立場をとっていた。

オランダ、イギリスからフランス、ドイツへ広がり、フランス革命の思想的なきっかけにもなっている。

啓蒙主義者として代表的なのは、先に紹介したイギリスのロックヒューム、いま紹介しているフランスのモンテスキューとヴォルテール、ルソー、次のページで紹介予定のカントのほか、ヴォルフ、レッシング(3人ともドイツ人)がいる。

ドイツの啓蒙主義者

左からカント、ヴォルフ、レッシング。

フランス啓蒙主義の共通点

フランス啓蒙主義に共通するのは、

  1. 権威への反逆
  2. 理性の時代
  3. 啓蒙運動
  4. 文明楽観主義
  5. 自然に帰れ
  6. 自然宗教
  7. 人権

よくわからないと思うので、もうすこしくわしく解説する。

①権威への反逆

彼らは自由思想が盛んだった英国へわたり、ニュートンの宇宙物理学やロックの政治哲学などから影響を受けた。

そうして古い権威に闘いを挑むようになる。古い権威というのは、教会と王と貴族。その結果、1789年にはフランス革命が起こる。

フランス革命は1789年7月14日に始まり、1795年8月22日に終わる。これは有名な「8月10日事件」(1792年8月10日)

フランス革命では、王妃マリー・アントワネットもギロチン処刑となった(1793年10月16日)

②理性の時代

理性を重んじる合理主義は、同時代のヒュームがこてんぱんにやっつけた。フランス哲学者たちはロックに影響を受けている。

ロックは経験主義者だが、合理主義者的な部分をもっていた。神を信じることや、ある種の道徳規範は、生まれつき人間の理性にそなわっていると考えていた。これがフランス啓蒙主義の核となった。

もともと英国人は経験重視だが、フランス人は合理主義的。理性を重んじる人びとなのだ。

たとえば「当然だよ」という意味で、英国人は「コモン・センス」ということばをよく使う。フランス人は「エヴィダンス」が口癖だ。「コモン・センス」は「だれでも知ってること」つまり常識。「エヴィダンス」は、理性にとって「明らかなこと」。

③啓蒙運動

自然は合理的であると新しい自然科学が裏づけたことで、啓蒙主義者たちはモラルや倫理や宗教についても人間の不変の理性にかなった土台をつくれるはずで、それが自分らの使命だと考えた。これが「啓蒙運動」へとつながっていく。

まず広く民衆を啓蒙しようとした。貧困と抑圧があるのは、無知と迷信がはびこっているからと考え、教育学が始まった。学校は中世に始まったが、教育学は啓蒙主義が起点なのである。

啓蒙主義の一番の記念碑は、膨大な辞典だ。1751〜1772年にかけ、哲学者や作家が協力して時点が完成する。この全28巻の『百科全書』には、縫い針のつくり方から大砲の鋳造までなんでも載っている、という触れ込みだった。

フランスの啓蒙思想家ディドロのほか、ダランベール、デュボア、ルソーといった当時のフランス最高の知識人らが共同で編集、1751年から20年以上かけて完成させた大規模な百科事典『百科全書』。商業的にも大成功を収めた。

④文明楽観主義

理性と知識が広まりさえすれば、無知と不合理は去り、啓蒙された人類が出現するはずだった。それがこの時代のたったひとつのテーマであり、数十年前までヨーロッパでは普通の発想だった。

むろん現代に生きる僕らは、もうどんな進歩も文句なしにいいとは考えていないけれど。

⑤自然に帰れ

自然に帰れ、が新しい合い言葉になった。自然は理性と同じ意味で使われた。理性は教会や文明から押しつけられたものでなく、自然から授かったものだからだ。文明化されていない自然の民のほうがヨーロッパ人よりすこやかで幸せだとさかんにいわれた。

自然に帰れ、というのは、ジャン=ジャック・ルソー(1712〜1778年)が最初にいいだしたスローガンである。自然は善良で、人間も本性上もともと善良なのに、文明が損ねているという。

ジャン=ジャック・ルソー。フランス語圏ジュネーヴ共和国に生まれ、おもにフランスで活躍した哲学者。

子ども時代はかけがえない、という発想も、啓蒙主義時代にできあがった。それまで、子ども時代は大人になるための単なる準備段階と思われていた。

⑥自然宗教

啓蒙主義者たちは宗教も自然なものにしようとした。宗教を人間の自然な理性と調和させようとしたのだ。

むろん無神論者も唯物論者もいた。でもたいていの啓蒙主義者は、神のいない世界を想定することは非合理だと考えていた。神がいないにしては、世界はあまりにも合理的すぎる、と感じたからである。ニュートンもそうだった。

同様に、魂の不死も理性にかなうと考えられた。デカルトと同じように啓蒙主義者たちにとっては「人間に不死の魂があるか」という問題も、信仰より理性の範疇であった。

現代人には理解しにくいが、最初はシンプルだったイエスの教えに、教会がおびただしい教義や教理(教義の体系)をつけたしていた。啓蒙主義者は、そういうものからキリスト教を解放したいと願ったのだ。

そのため理神論に傾倒する人も多かった。理神論は、神は悠久の昔に世界を想像したが、そのあとは世界に対して、奇跡というかたちでは自分を明かさず、自然と自然法則を通じて正体を明かす至高の存在、という考え方だ。

神を知るための超自然的な道など存在しない。そういう神さまは、アリストテレスの「神は第一原因、第一起動者」という説でおなじみだったし、スピノザロックバークリにも通底している。

⑦人権

フランスの啓蒙主義は、イギリスの哲学より実践的だ。理論だけでは満足せず、市民の自然な権利——自然権のために積極的に闘った。

検閲への反抗(出版の自由)、奴隷制度の廃止、犯罪者の人権などのために文字どおり闘ったのだ。こうした個人の不関心の原則は1789年、フランス革命の果実としてフランス国民会議で採択された「人権宣言」に実を結ぶことになった。

人権宣言(人間と市民の権利の宣言)には、人間の自由と平等、人民主権、言論の自由、三権分立、所有権の神聖など17条からなるフランス革命の基本原則が記されている。

 

つづく

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