ルネサンスの科学と技術革新

科学にも同じことがいえる。14世紀初頭から、古い権威を盲信することへの警戒の声が高まっていたのだ。

権威とは、教会の教義やアリストテレスの自然哲学である。問題は頭でひたすら考えれば解ける、という理性に対する過信に警鐘を鳴らす人びともいた。そうしてルネサンスでは、自然の研究は観察や経験や実験を踏まえるべきだという考えが台頭してきたのだ。

これを「経験的方法」と呼ぶ。ものごとに関する知識を、人間は経験から手に入れるということだ。当時はまだコンピュータも電子顕微鏡もなかったが、計測器具や数学はあった。科学的な観察は正確な数字で表現すべきという声が高まってきた。

「計れるものは計るべきだ。計れないものは計れるようにすべきだ」(ガリレオ・ガリレイ)

ガリレオ・ガリレイは17世紀のもっとも重要な科学者である。彼はまた、

「自然という書物は数字ということばで書かれている」(同)

とも語った。

イタリアの天文学者、物理学者、ガリレオ・ガリレイ

ルネサンスの技術革命は、自然を利用、消費、支配できるものと捉えた

こうして技術革命の道は開けた。あらゆる発明が可能な、科学の新たな地平へと人類をみちびいたのだ。

人間はもはや自然の一部ではない。自然は利用し消費できるなにかなのだ。「知は力だ」とイギリスの哲学者、フランシス・ベーコン(1561〜1626)が話している。知は現実に活用すべきだ、というわけだが、これは当時としては斬新な考え方だった。

いまや人間は自然に挑みかかり、支配するようになった。

失業者を生み、自然を痛めつけ、環境を破壊、技術革新にはこうした負の側面もある

いい面ばかりでもなかった。

ルネサンスに始まった技術の進歩は、紡績機械と失業につながった。医薬品と新しい病気を生んだ。農業の生産性は高まったが、自然を痛めつけた。便利な家電製品であふれたが、環境汚染とゴミの山をつくった。人間は自分たちでコントロールできない段階へ突入していった。

人間の技術はまだ幼年期だという楽観的な人びともいた。最後に人間は、自然を生命にやさしいかたちでコントロールすることを学ぶだろう、と。

どちらが正しいかは、分野によって異なるだろう。ただ、明確なのはもう中世に逆戻りできないということだ。

ルネサンス以降、人間はただの被造物でなくなった。自然に手出しし、都合のいいようにつくりかえている。

月にも行った。新しい宇宙観を手にした。

中世には、地球が宇宙の中心だと疑う人などいなかった。地球以外が動いていると、みなが考えていた(天動説)。神が天体を支配しているというキリスト教の教えも、そうした宇宙観を支えていた。

コペルニクスからケプラー、ガリレオ、ニュートンへと引き継がれた科学のバトンが宇宙の法則を解明

1543年、ポーランドの天文学者コペルニクスが『天体の回転について』という本を書いた。本が刊行されたその日に死んだ彼は、天体観測を踏まえて、地動説を唱えた。天文学に革命的な影響を与えたのだ。

ポーランド出身の天文学者、ニコラウス・コペルニクス

太陽が宇宙の中心で、太陽系の惑星は円軌道を描いて、太陽のまわりをまわっている、という部分は不完全だったが、17世紀のドイツの天文学者ケプラーが誤りを正す。ケプラーは、惑星の軌道は楕円軌道だと証明。天体同士をひっばりあわせている力の存在も予測した。引き潮と満ち潮は月と関係あるとまで指摘した。

ドイツの天文学者、ヨハネス・ケプラー

同時代を生きた、イタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイも望遠鏡で天体観測をおこない、月のクレーターを調べあげ、月に山や谷があると確信した。木星に月が4つあることもつきとめた。ただし、ケプラーのいう引力に関しては馬鹿にしていた。

また、ガリレオは弾道が放物線を描くことや、落体の加速度が一定であることなどもあきらかにした。

ガリレイの最大の功績は、慣性の法則を発見したことだろう。これには宇宙規模の意味がある。人類の科学的発見のなかでも、いちばん重要な発見といえる。

のちにニュートン(1642〜1727)は、慣性の法則を数式にあらわし、それを使って、太陽系と惑星の動きをみごと解きあかす。惑星が太陽のまわりをどのように動くのか、なぜそんなふうに動くのか、ということまできちんと説明してみせたのである。このときにものをいったのは、彼が発見した「万有引力の法則」だった。

イングランドの自然哲学者、数学者、物理学者、天文学者、神学者、アイザック・ニュートン

新しい宇宙観と地動説は、人間こそ宇宙の中心と考える大衆から拒絶された

ニュートンは、この法則が全宇宙にあてはまるとし、「天」は地上とは別の法則が支配している、という中世の古めかしい思想をお払い箱にした。地動説を証明したのだ。

しかしこの新しい宇宙観は、当時の大衆には重すぎた。地球が中心で、神はそれより一段高いところにある、という考え方を否定されることは、ダーウィンが「人間は動物から進化した」といったときと同じほどのインパクトを与えたのだ。

教会も激しく抵抗したが、これはさほど深刻な脅威にはならなかった。ニュートンにしても、自然法則を神の偉大さ、全能の証と考えており、信仰は微塵も揺るがなかった。

問題は、人間が自分たちに抱くイメージであった。

天文学は、宇宙には絶対的な中心など存在しないと語っているけれど、ルネサンス期の人文主義者たちは、人間はこの世界の中心だと考えていたからである。

 

つづく

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