ルネサンスの宗教観~宗教革命

サン・バルテルミの虐殺

ルネサンスは新しい宗教観をもたらした。教会として組織的に神とかかわるより、神との個人的なかかわりのほうが重要になってきたのだ。

中世のカトリック教会では、ラテン語によるミサと儀式ばった祈りが最重要視された。聖書を読むのは、聖職者と修道士だけだった。

ルネサンス期に聖書は、各国の民衆が使っている口語体に翻訳された。これが宗教改革の端緒を開く。

宗教改革で重要な役割を果たすは、マルティン・ルターだ。彼は免罪符のお金を払わなかったがため、カトリック教会から破門される。

ルターによれば、

「神の赦しを得るために、教会や修道僧などの回り道をする必要はない。まして免罪符料に左右されるなんてもってのほか」

だからルターは、中世に教会がつくりあげた宗教的なしきたりや信仰箇条を否定した。救いは功績によらず、信仰によってのみ得られるとし、新約聖書にあるような本来のキリスト教への原点回帰をめざした。人文主義者が文化と文明の原点に立ち返ろうとしたように、だ。

そして、聖書を信仰の唯一のよりどころとする立場から、教皇権を否定した。

ドイツの神学者、マルティン・ルター(ルーカス・クラナッハ画、1529年)

ルターは、教会の権威に真っ向から異を唱えた

ルターは、聖職者は神と特別な契約なんか結んでいない、と考えていた。

実際的な理由から、ルター派の人びとも礼拝をおこなったり、牧師を立てたりはしたが、教会で礼拝したから赦しが得られたり、罪から解放されるわけがあるまいと考えていた。開放は信仰によってのみ、無償で与えられるものであると。

聖書を研究しつくし、そういう考えにいきついたのだ。

ちなみにルターは、フィチーノやダ・ヴィンチのように人文主義者ではない。彼らはルターの人間観を否定した。ルターは、人間はアダムとイヴが犯した原罪によってどうしようもなくダメになっており、罪の報いは死だと強調した。

神の恵みによってかろうじて「義と認められる」と考えていたのだ。

ルターの批判がきっかけで、ヨーロッパ中に宗教改革の嵐が巻き起こる

1517年当時、巨大な集金装置と化していたローマ教会に猛抗議し、ルターは「95ヶ条の論題」を叩きつけた。これが宗教改革の始まりである。

ルターは自分が神学教授を務めているヴィッテンベルクの教会の門に「95か条の論題」を貼りだした。

ルターのこの批判がきっかけで、以前から指摘のあった教皇位の世俗化、聖職者の堕落などへの不満が民衆のあいだで爆発。ローマ・カトリック教会からプロテスタントの分離へと発展していく。

当時グーテンベルクによって発明されたばかりの活版印刷術によって、この運動は大きなうねりとなりヨーロッパ中に伝播していく。諸侯、騎士、市民、農民を巻き込む巨大なムーブメントとなった。

論戦にとどまらず、やがて宗教戦争が勃発、武力衝突も

ドイツでは宗教改革が騎士戦争やドイツ農民戦争を引き起こす。こうした武力衝突はフランスでも起きている。

フランスのプロテスタントはユグノーと呼ばれた。彼らとローマ・カトリックの対立が深まるなか、カトリック側の中心勢力による虐殺事件が起きた。このためフランスでは36年におよぶ内戦が勃発した

その後和平が結ばれた。いったん内戦は落ち着くのだが、カトリック信徒がまたもユグノーを弾圧、というか大量虐殺する。そのためユグノーは壊滅状態におちいってしまう。

フランスのこの一連の騒動を「ユグノー戦争」と呼び、大量虐殺事件は「サン・バルテルミの虐殺」と呼ばれている。いちばん上に掲げた絵画はそのときの様子を描いたものである。

 

つづく

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