ルネサンスで、ギリシア哲学が中興

モナリザの微笑

ルネサンスは、北イタリアからあっという間にヨーロッパへ広がった文化革新、文芸復興。古代ギリシア-ローマの文化の復興を求めた運動である。

宗教改革や地理上の発見、近代科学の誕生とともに、人文主義、世俗主義、合理主義、個人主義などの指標を積極的に用いながら「暗黒時代」たる中世からの離脱を実現した、輝かしい近代の黎明。ボッティチェリやダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、デューラーらはこの時代を象徴する顔ぶれ。

万能人と呼ばれたレオナルド・ダ・ヴィンチの自画像。モナリザを描いたのも彼

生活の主導権が神から人間へ戻り、ヒューマニズムが再興

あらゆる文化が繚乱の花盛りを迎えた。

あらゆる生活条件が神のもとにあった中世のあと、ふたたび人間が中心に据えられたという点において、ルネサンス人文主義(ヒューマニズム)ともいわれている。

モットーは「源に戻れ!」。むろん、源とは古代ギリシアの人間中心主義(ヒューマニズム)。

古代ギリシア哲学がふたたび脚光を浴びる

猫も杓子も、古代の彫刻や手稿本の掘り起こしに熱中。ギリシア語を習うのも流行。人間中心主義も流行。そこには教育上の目的もあった。

人文系の学科(哲学や言語、歴史、文芸など)を学ぶことは、人間をもっとも高級なレベルに押しあげる古典の教養(ビルドゥング)を身につけることにつながる、とされたのだ。

「馬は生まれる。だが、人間は生まれない。つくられるのだ(ビルデン)」

この言葉のとおり。

コンパス、鉄砲、印刷技術、この3つの発明が、ルネサンスのきっかけをつくった

ルネサンス時代の幕開けに欠かせなかった3つの発明は、コンパス、鉄砲(火薬)、印刷物である。

コンパスは大航海時代の開始に欠かせなかった。

新兵器のおかげで、ヨーロッパ人はアメリカやアジアの文化より優位に立つことができた。

印刷術は、ルネサンス人文主義を広めるうえで欠かせないものとなった。

ルネサンスに始まった科学の歩みは、ついには人間を月に連れていくことになる。皮肉なことに、この道は広島やチェルノブイリ、福島にも通じている。

貨幣経済が花開き、市民階級が成立

経済は、半自給自足から貨幣経済へ移行した。中世の終わりにできあがった都市では、手工業が栄え、商取引がさかんにおこなわれた。

銀行取引も確立した。それが背景となって、市民階級が成立していく。

市民とは、基本的な生活条件からある程度自由になった人たちのことだ。生活に必要なものはお金を出せば手に入る。食料をみずから育てる必要はない。空いた時間を勉強に使ったり、想像力や創造性をはばたかせることができるようになったのだ。

ルネサンスの市民たちは、封建領主や教会権力の束縛から身をもぎ離しはじめたのである。同時に、スペインのアラブ人やビザンチン文化と密接に交流するなかで、古代ギリシアの文化を再発見したのだった。

ここにおいて、古代ギリシアに端を発する、哲学と文化の3つの流れが合流し、1本の川となる。

『アテナイの学堂』 ラファエロ(1509〜10年、バチカン宮殿)

個人の価値や才能をとことん認める、ルネサンス的人間観

ルネサンスは新しい人間観にたどりつく。

人文主義者(ヒューマニスト)らは、人間の罪深い本性ばかりを強調する中世の人間観とはとことん対照的な信念をつくりあげる。人間はなにか無限の可能性を秘めた、価値あるものとみなされるようになった。

イタリアの哲学者フィチーノは「みずからに目覚めるのだ、おお、人間の姿をした神の族(うから)よ」と叫ぶ。人間の尊厳が尊ばれた。

神でなく、人間が文化的生活の原点になった。ギリシアの哲学者とも共通するのだが、ルネサンスの人文主義の特色は、個人主義の色が濃いところ。われわれは単なる人間でなく、たったひとりしかいない個人だというのである。

ここから、天才崇拝が始まる。芸術から科学まで幅広い分野に通暁する人物(ゼネラリスト)を「ルネサンス的人間」と呼ぶが、そういう人を理想に掲げたのだ。

新しい人間観は、人体の解剖への欲求を喚起した。死体を解剖するようになった。その結果、医学だけでなく、芸術にも大きな進化が起こった。

人間を裸で表現することがふたたび当たり前になった。恥ずかしがりの千年を経て、人間はまた自分自身をさらけだすことに抵抗を感じなくてすむようになったのだ。

科学と芸術を融合させた、ダ・ヴィンチの作品『ウィトルウィウス的人体図』

ルネサンスは古代ギリシアのヒューマニズムと違い、節操がなかった

新しい人間観からは新しい人生観が誕生する。

人間は神のためだけに存在するのではなく、神は人間を人間のためにも創造した。だから人間は人生を楽しんでいい。自分を発展させられれば、無限の可能性が開ける。人間の目的はあらゆる限界を超えることにある、と。

古代の人間中心主義とこの点はすこし異なる。

古代のヒューマニズムは、心の平安や中庸や自制心を保つべきだと力説したが、ルネサンスにおいてはそれほどの節度はなかったのだ。なにしろ、彼らは世界が目覚めた、と感じていたし、新時代という意識を持っていた。

あらゆる文化は花盛りを迎える。芸術、建築、文学、音楽、哲学そして科学。彼らは中世において荒れ果てていたローマ再建を、文化および政治の目標に掲げた。

『最後の晩餐』 レオナルド・ダ・ヴィンチ
(1495〜98年)

手はじめにやったのは、使徒ペテロの墓の上にサン・ピエトロ大聖堂を建てることだった。大聖堂には中庸の精神も自制心もない。なにしろ長さ200m、高さ130m。希有壮大。ルネサンスの有名人らがこぞって参加し、1506年から120年かけての大建築プロジェクトになった。

その後さらに50年かけて壮大なサン・ピエトロ広場がつくられ、ようやく完成の日の目を見たのである。

旧サン・ピエトロ大聖堂復元図

宗教観も刷新、ヒューマニストは汎神論に傾倒し、教会や国家は暴力により思想を弾圧

自然観も刷新された。現在の人生を天国に行く準備とばかりは考えなくなったので、自然を肯定し、神が無限であるならあらゆる被造物のなかにあらわれているはずだ、と考えたのだ。

一種の汎神論である。

中世のように、神と被造物のあいだの深淵を強調するのではなく、自然は神々しい、自然は「神の展開だ」とし、それを表現するようになった。

こうした考え方に反発、牙をむいたのは教会だ。

人間中心主義者のジョルダーノ・ブルーノは「神は自然界にいて、宇宙は無限だ」と発言し、1600年にローマの広場で火あぶりになった。

このことからわかるように、ルネサンス期には人文主義が台頭する一方で、反人文主義(アンチヒューマニズム)も全盛であった。権威づくの教会や国家権力が、暴力的に思想を弾圧したのである。

魔女裁判や火刑の薪の山、魔術と迷信、血なまぐさい宗教戦争はあとを絶たなかった。

残酷なアメリカ大国征服もこの時代の人間がやったことだ。

どの時代にも複数の顔がある。いいことばかりでも悪いことばかりでもない。2本の糸は、人類のすべての歴史を貫いている。

 

つづく

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