18世紀末19世紀中期のロマン主義

民衆を導く自由の女神(1830年、ルーヴル美術館所蔵)

18世紀末から19世紀前半のヨーロッパで、絵画や音楽や文学といったジャンルの垣根を超え、芸術家が影響をおよぼしあった芸術運動がある。この運動はさらにその後、ほかの地域にも広がっていった。

ロマン主義だ。

ロマン主義時代は、ヨーロッパが最後の盛りあがりを見せたエポックといっていい。なにしろこのあと1850年から先、なんとか時代と呼べる時代はまだ来ていない。

カントの影響下、ロマン主義はドイツから始まった

啓蒙主義が理性を重んじたことへの反動として、ロマン主義は最初ドイツに興った。カントの冷たい理性の時代から開放され、ドイツの若者たちはホッとしたのだ。

彼らは理性の代わりに、感情、想像力、体験、憧れをスローガンとした。ルソーなど、啓蒙主義者にも理性一辺倒になることを批判したひとがいて、そういう伏流が本流になったのだ。

といっても、ロマン主義者の多くは、自分はカントの路線を受けついでいる、と思っていた。カントにしても、僕らがモノそのものについて知りうることには限界があるけれど、その一方で「わたし」が認識に果たす役割を強調していた。

ロマン主義者らは、これを拡大解釈。それなら個人は人生を好きに選択してかまわないと考えた。そして「わたし」つまり自我を無制限に崇め奉ったのだ。結果、芸術の天才こそがロマン主義者のシンボルだ、ということになった。

ヒマワリ

ロマン主義に傾倒、信奉するひとたちのことを「ロマン派」ということもありますが、ここでは「ロマン主義者」で統一しますネ。

ロマン主義は天才を多数輩出していく

この時代、天才はたくさんいた。

ベートーベンの音楽は、彼の感情や憧れを表現した。バッハやヘンデルのようなバロックの巨匠たちは、厳格な規則にならい、神の栄光に捧げる作品を作曲した。ベートーベンの音楽はそれとはまるでちがった。『月光』(ピンとこないひとは?でぜひ聞いてみて!)はロマンチック、『運命』はドラマチックに自己表現している。

©Moonlight Sonata (Op. 27, No. 2), 1st movement: Adagio sostenuto, by Ludwig van Beethoven

ベートーヴェン(1803年)

ベートーベン(1803年)

ちなみに個人を重んじ、人間の認識にとって芸術はとても重要だと考えたあたりは、ルネサンスの人文主義者におおいに重なるところがある。この点においても、じつはカントはロマン主義のお膳立てをしていたのだ。

すぐれた芸術作品は、僕らが理性の限界を飛び越える手助けをしてくれる

カントは、僕らが芸術作品に圧倒されるとき、なにが起きているのかを追求した。

僕らが芸術作品をできるかぎり深く「体験」しようとして、損得を捨ててその作品にのめり込むなら、僕らは知の限界、つまり理性の限界を踏み越えて、モノそのものに近づくことになる。芸術家は、哲学者に表せないなにかを表現する、とカントもロマン主義者も考えていた。

カントに元気づけられ、芸術家たちは認識能力を自由に羽ばたかせた。

作家のフリードリヒ・シラーは、カントに思いっきり影響を受けた。

シラー「芸術家のすることは遊びのようなものだ。ひとは遊んでいるときだけ自由だ。なぜならそのときには自分でルールをつくっているのだから」(シラー)

ロマン主義者たちは、芸術だけが僕らを「ことばにならないもの」に近づけてくれると考えた。過激なひとは、芸術家を神だとすらみなしていた。

芸術家には、神を創造する力がある、とまでいわれた時代であった。芸術家は陶酔のうちに、夢と現実の境が消えてしまうという体験をしていた。

ロマン主義の若き天才作家ノヴァーリスは、こういっている。

「世界は夢になり、夢は世界になる」(ノヴァーリス)

中世に対する評価が逆転、神秘的あるいは遠方の文化、闇や怪奇などへの関心も高まった

遠いところ、手の届かないものに憧れるのが、ロマン主義者の特徴だ。

たとえば中世は、啓蒙主義時代には暗黒時代と思われていたが、ロマン主義時代には評価が逆転する。すばらしい時代ということになったのだ。

神秘的な東方のような、遠い文化も憧れの対象だった。夜、薄明、廃墟、超自然的なものがもてはやされた。人生の夜の側、つまり闇や怪奇や神秘などに関心が集まった。

ロマン主義は、おもに都市部の勉強嫌いの男子大学生たちが牽引

ロマン主義は都市の産物だった。

典型的なロマン主義者というのは若い男性で、たいていは大学生で、勉強にあまり熱心でなく、小市民的なものに対しては反発をむきだしにして、警察官や下宿のおかみさんを「俗物」とか「敵」と呼んだ。

みんな若かった。だからロマン主義運動はヨーロッパ初の若者革命といえる。150年後のヒッピー文化とよく似ている。ぐうたらしていることは天才の理想だし、だらしないのはロマン主義者にとってかっこいいことだった。

人生を味わうこと、あるいは人生から逃れる夢を追うことが、ロマン主義者の至上命題だった。日々の営みは俗物どもに任せておけばいいのだ。

ロマン主義者には早死にする人が多かった。たいてい結核だが、自殺したひともいる。若いうちに死ななかった人は、ロマン主義を卒業した。30歳くらいで卒業するのである。それからはコチコチの小市民になったりする。

『若きウェルテルの悩み』(ゲーテ)は、ロマン主義者らのバイブル

片想いがテーマのゲーテの書簡小説『若きウェルテルの悩み』(1777年)は、ロマン主義者のバイブルだった。

恋した相手と結ばれなかったウェルテルが自殺して終わるという筋書きの本書が出版されるやいなや、自殺者は急増。デンマークとノルウェーでは長いこと発禁になったくらいだ。

ロマン主義者になるのは危険なことだったのだ。なにせロマン主義とはげしい情熱は切っても切れないのだ。

若きウェルテルの悩み

『若きウェルテルの悩み』(初版1774年)の表紙と挿絵 ©Attribution: “Wikipedia: Foto H.-P.Haack

「自然へ帰れ」がスローガンとなり、スピノザを再発見

ロマン主義というと、神秘的な森や荒々しい自然を描いた大きな風景画が特徴的だ。

都市をゆりかごにしていたロマン主義は、啓蒙主義の機械的な世界観に反発し、ルソーがいいだした「自然へ帰れ」をスローガンにした。彼らは自然をひとまとまりのものとしてみていた。かつての「宇宙(コスモス)意識」のルネサンスがふたたびやってきた、といってもいい。

自分たちのルーツをたどって、ロマン主義者たちはスピノザへとたどりついた。それから、自然のなかで神のような「わたし」を体験したルネサンスの哲学者ら(プロティノスやヤーコプ・ベーロ、ジョルダーノ・ブルーノなど)にいきつくのだった。

ヒマワリ先生

みんな汎神論者です。

デカルトヒュームは、自我と延長(ひろがり)の現実のあいだにくっきりと線を引いていた。カントも、認識するわたしと自然そのものを厳密に区別した。ところがここにきて、自然はたったひとつの大きなわたしだ、ということになった。ロマン主義者はそれを「世界霊魂」とか「世界精神」と呼んだ。

シェリングの同一哲学が、ロマン主義の自然観や世界観をよく体現している

なかでも重要な哲学者が、フリードリヒ・ヴイルヘルム・シェリング(1775〜1854年)である。

シェリング

ドイツの哲学者、フリードリヒ・シェリング。フィヒテ、ヘーゲルとともにドイツ観念論を代表する哲学者。

シェリングは分裂してしまった精神と物質をもう一度ひとつにしようとした。魂も物理的な現実も含めた全自然は、ひとりの絶対者、世界精神の現れと考えた。自然は目に見える精神で、精神は目には見えない自然、としたのだ。自然をよく観察すれば、いたるところに秩序をつくりだそうする精神が感じられるからである。

シェリングは、物質はまどろんでいる知性だといった。この哲学を「同一哲学」と呼ぶ。同一哲学では、世界精神は自然のなかにも自分のなかにも見いだせる。

だから前述のノヴァーリスは、「神秘の世界が内面に通じている」といったのだろう。人間は宇宙をそっくりそのまま自分のなかにもっている。自分自身のなかへと降りていけば、世界の謎に近づける、と彼は考えたのだ。

ヒマワリ

若き天才作家ノヴァーリスは、ドイツ初期ロマン派の詩人です。23歳の時に13歳の少女ゾフィーと結婚したのですが、わずか2年後に死別し、彼自身も29歳で亡くなりました。

多くのロマン主義者は、哲学と自然科学と文学はひとつだ、と考えていた。

自然が機械でなく、生き生きとした精神世界なら、書斎にこもって霊感のおもむくままに詩や小説を書くことも、花の生活や石の組成を研究することも、同じコインの表裏なんだ、と。

ノルウェーの博物学者はロマン主義運動をこう評している。

「道を切り拓くための、荒れくれた物質とのはてしない格闘に疲れて、わたしたちは別の道を選び、一気に無限へと駆けつけようとした。自分自身の内へと降りていき新しい世界をつくった」

シェリングも、自然は石ころから人間の意識までひとつながりの発展と考えた。命をもたない自然から複雑な生命の形態へとなだらかに移行しているのだ、と。

ロマン主義の自然観では、自然はひとつの有機体だった。こうした哲学にはアリストテレス的なところと、新プラトン主義的なところがある。アリストテレスは自然のなりゆきを有機的にとらえていた。

ヘルダーの歴史観が、ロマン主義者たちの胸を打った

同じような発想は、新しい歴史観にも見られる。とくに歴史学者のヨハン・ゴットフリート・ヘルダー(1744〜1803年)は、ロマン主義者たちに大きな影響を与えた。

ヘルダー

ドイツの哲学者・文学者、ヘルダー。歴史への造形も深く、すぐれた歴史哲学を残している。

ヘルダーは、歴史の流れも目的に向かうプロセスだと考えた。彼の歴史観は、ダイナミック(動的)な歴史観と呼ばれる。啓蒙主義の哲学者の歴史観はおおむねスタティック(静的)で、普遍的な理性がただひとつあり、さまざまな時代に強く弱く現われていると考えていたからだ。

ヘルダーはそうではなく、歴史の各時代にはかけがえのない価値があるし、各民族にはそれぞれの個性、つまり民族の心がある、と考えた。問題があるとすれば、僕らはどうすれば異なる時代や文化を理解できるか、ということだけだと。

とても進歩的な発想である。

ロマン主義のおかげで、それぞれの国にはアイデンティティがある、という感情が強まった。

ロマン主義には「普遍的」と「民族的」の2つのタイプがある

ロマン主義はさまざまな分野で新しい潮流をつくった。大きく2つに分けて考えられている。

まずは普遍的なロマン主義から。

このタイプのロマン主義者は、自然や世界精神や天才芸術家などにかかわっていった。1800年ごろにドイツのイェーナに出現し、そこで最盛期を迎えることになる。

もうひとつのタイプは、民族的なロマン主義。こっちは少し遅れて、ハイデルベルクを中心に活動していた。民族の歴史やことば、民俗文化一般などに関心を寄せた。民俗も自然や歴史と同様、ひとつの有機体だと考えていた。

この2つのロマン主義を結びつけていたのは、「有機体」というキーワード。彼らは、植物も民族も、文学作品もことばも、すべて命ある有機体としてとらえていた。世界精神は、民族や民族の文化にも、自然や芸術にも宿るのだ。

欧州各国の歌、民謡、民話、メルヘン、神話、叙事詩、サガを再発見

前述の歴史学者ヘルダーはいろんな国の歌を集めた。民間伝承を「民衆の母語」と呼んでいた。これがきっかけとなって、ハイデルベルクでは民謡や民話の蒐集が始まった。

グリムのメルヘンは代表格だろう。民族の文化遺産の保存を目的に、グリム兄弟が集めた民話集で、1812年に初版が刊行された。当初は156話を収録。1857年の第7版では210話にまで増えた。『白雪姫』『赤ずきん』『ヘンゼルとグレーテル』『ブレーメンの音楽隊』はとくに有名だ。

ドイツの言語・文献学者、民話収集家、文学者であるグリム兄弟

『グリム童話』第1巻のタイトルページと口絵

ヒマワリ先生

メルヘンというのは、神話や伝説に対し、まったくの空想でつくった物語のことです。童話やおとぎ話の類ですネ。

ドイツ・ロマン派の作家はメルヘンを高く評価していた。創作もおこなった。演劇がバロックをもっともよく表現する芸術様式だったように、メルヘンはロマン主義にもっとも適した文学形式だったのだ。

アンデルセン(1805〜1875年)はデンマーク人の作家だが、創作メルヘン作家の代表。『親指姫』『人魚姫』『マッチ売りの少女』『みにくいアヒルの子』など150編を数える童話を残している。

ドイツのホフマン(1776〜1822年)も著名。代表作に『くるみ割り人形とねずみの王様』『牡猫ムルの人生観』がある。裁判官をしながら売れっ子作家として童話や小説を書き、舞台をやり、作曲まで行なっていた。

19世紀中ごろには、神話や叙事詩、サガなども次々と再発見された。ヨーロッパ中の作曲家が、民謡を作品に取り入れるようになった。国民楽派と呼ばれる人たちである。

ロマン主義のまとめ

長くなったので、ロマン主義を概括しよう。

ロマン主義の哲学者たちは世界霊魂を、夢見るような状態で世界のあらゆるものを創造する自我(わたし)と考えた。

シェリングは「世界は神のうちにある」といった。自然には神の意思が表われているけれど、神の無意識を表わしている面もある。なぜなら神には暗黒面もあるのだから。

作家と作品の関係も同じようなものだと考えられた。

メルヘンは作家に、世界を創造する想像力をふるわせてくれる。創作はいつも意識的におこなわれるわけではなく、作家はもともと自分のなかにある、なんだかよくわからない力が物語を書いているような体験をすることがある。あるいは催眠術にかかったような状態になることもある。

でも時折、作家は幻想からふと目覚める。すると物語に割って入って、読者にアイロニーをこめた短いコメントをはさんだりする。

たとえば「作家が主人公の僕を殺すわけないじゃないか。シリーズが終わってしまうもの」とかいうやつだ。すると読者はつかの間、これはただの物語なのだ、ということを思いだす。この虚構の世界を動かす作家の存在を意識するのだ。

この幻想破壊を「ロマン主義的イロニー」という。

 

つづく

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