「元素」と「変化」の問いは、デモクリトスが完璧に解いた。彼は、自然界は原子(アトム)の集合体であり、自然界の法則によってたえまなく変化している、と見抜いたのだ。
こんにち、それが完璧な説明であったことは論を俟(ま)たない。
自然哲学者たちがとりくんだ、ぼくら人間が生きているこの世界とはいったいなんなんだ、という疑問は氷解したわけである。
して、デモクリトス以後、哲学者の感心はどこへ向かったのか。きょうはそのことを書こうと思う。アテナイの賢者、そうソクラテスについて語るまえの筆馴(ふでな)らしだ
もくじ
中心地はアテナイへ、哲学のテーマは「自然」から「人間の営み」へ
人間の思考は神話的な世界観からきっぱりと縁を切った。自然界についての思索もひととおり終えた。
このあと、古代ギリシア最大の哲学者が連続してあらわれる。ソクラテス、プラトン、アリストテレスだ。だから、哲学は「ソクラテス以前」と「ソクラテス以後」に分けられている。
ソクラテスの時代、アテナイはギリシア文化の中心地になっていった。
そして哲学は、自然の探求から、
- 人間そのもの
- 社会のなかでの人間のありよう
へと関心の的を移していく。
アテナイにギリシア中の知識人(ソフィスト)がウヨウヨ集結
民主主義ポリス(都市国家)だったアテナイにおいて、政(まつりごと)の中心は市民集会と裁判である。市民らは、他人を説き伏せたり、自分の意見をロジカルに説明するテクニックに長けており、あるいはそれらを会得しようと努めていた。
そういうものを市民に教えることを生業とする人びともたくさん出てきた。この職業的知識人は「ソフィスト」と呼ばれた。プロの哲学者といってもいい。
こうした知識自慢のソフィストはもちろん、ほかのポリスにもたくさんいて、アテナイでは知識で飯が食えると聞きつけ、アテナイにそろって押し寄せてきた。
ソフィストたちは哲学的関心を、自然から人間へ転回させた
自然哲学は原子と自然法則の存在をいいあてたが、半面、そこで行き詰まっていたと考えることもできよう。
なにしろそのころは、ピタゴラスが三平方の定理を発見して賞賛されていたくらいだから、数学だってあるにはあるけれども中学生レベル。物理学も化学もなく、実験や観測といった手法もなかったから、デモクリトスの解のその先にある、
- 原子とはなにか?
- 自然法則にはどんなものがあるか?
については、まるで歯が立たなかったにちがいない。
ソフィストたちが、「懐疑主義」と呼ばれる、
人間はけっして、自然や宇宙の謎の本当の答えを発見できない。
という立場をとっていたのは、そのためだったのだとぼくは思うのである。
だから、彼らは「人間」と「社会における人間のありかた」に目を向けるようになったのだ。
ちなみにそれがどういう考え方だったかは、代表的ソフィスト、プロタゴラスのこの考え方が教えてくれる。
- 人間は世界の中心であり尺度だ
- 善悪というものは、人間が決めるべきだ
つまり、プロタゴラスによれば、自然な羞恥心なんていうものはないということになる。あなたがフンドシ一丁で通勤することを恥ずかしいと思うのは、あなたが所属する社会の習慣だからで、あなたのなかにもともとある感情ではない。
さらにプロタゴラスは、神の存在についてもたしかなことはなにもいえない、という立場だった。
こういう考え方を「不可知論」という。彼は不可知論者だったのだ。
ちなみに、同時代にアテナイで活躍していたソクラテスは、
- 絶対的な基準、というやつは存在している
といっていた。
アテナイではさまざまな学問が開花した
アテナイの哲学は、その後のヨーロッパ文明すべてのインフラだと思う。
なにせ、
- 哲学(philosophy)
- 歴史(history)
- 倫理学(ethics)
- 論理学(logic)
- 神学(theology)
- 政治(politic)
- 民主主義(democracy)
- 経済(economy)
- 数学(mathematics)
- 生物学(biology)
- 物理学(physics)
- 心理学(psychology
- 理論(theory)
- 方法(method)
- 観念(idea)
- 体系(system)
などの源流をさかのぼっていくと、すべからくアテナイの哲学者たちに行き着くのである。
医学と政治において、ギリシア人はまだ神を信じている
この時代においても、病気と健康、政治の分野だけは、運命の存在をギリシア人たちはかたく信じていたらしい。すべての運命はあらかじめ決まっている、と考え、神のご託宣によって、人間はその運命の一部を知ることができる、と考えていた。
当時のギリシアにあったデルフォイ神殿は、崇拝の的だった。神殿の巫女(ピュティア)が告げる、ギリシア神話の太陽神アポロン(最高神ゼウスの子、写真)の託宣は、人びとの生活を規定した。政治の重大事などを決める際にはかならず、アポロンにおうかがいを立てたそうだ。
アポロンの神官たちは、いまでいう外交官か諮問委員のような権力を握るようになっていたという。
運命にどうしようもなく翻弄(ほんろう)される人間たちの不運を描いた、数々のギリシア悲劇が生まれたのには、こうした習慣がベースにあったことが大きく関係している。
デルフォイ神殿(上写真)のとば口には石碑があり、有名なこの銘がうがたれている。
「身のほどを超えるな」「分をわきまえろ」という箴言だ。ソクラテスはこれを「自分の内心が読める者は悪人にはなりえない」と解釈。
まあ、いつの世も、自分では予測不可能な未来の決定をおこなう際、託宣に頼ろうとする人はいる。手相やタロットカード、占星術などに頼る政治家、いのま日本にもたくさんいる。
photo credit: Ancient Agora – Αρχαία Αγορά via photopin (license)
photo credit: Apollo Musagetes via photopin (license)
photo credit: The Temple of Apollo – Delphi via photopin (license)
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