ガンダム論:アニメブームの頂点に君臨し、いまなお色褪せない理由、その思想と哲学を論証する

ガンダム

(C)創通・サンライズ

『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』など、1970年代後半にアニメブームを巻き起こした人気作の多くは、たとえ戦争を描いていても、夢とロマン、愛と希望を語っていた。

ヒマワリ

そのあたりの話はここに書きました。興味のある方はご一読ください。
未来少年コナン 1970年代後半のSFアニメブーム〜テレビまんがが突然アニメになった日のこと

またSF(サイエンス・フィクション)といっても名ばかりで、後代のSFアニメと比較すると科学考証などもかなりいい加減だった。

たとえば人間が真空の宇宙空間に防護服なしで放りだされても、呼吸ができないくらいのもンである。あたかも水中にいるかのように描かれる。髪がなびくことさえあったのだ(空気もないのに風が吹く!?)。

ある実験によれば、地球上の動物が真空にさらされると、そのほとんどが1分も経たないうちに心不全を起こしたそうだ。人間の場合はそのまえに——10〜15秒ほどで気を失ってしまうのだという。

ヒマワリ先生

『トータル・リコール』のシュワちゃんは眼球がふくらんで破裂してましたネ。身体が凍るとか、血液が沸騰するとか、いろんな説がありますが、いまンとこ⬆のような説が有力らしいです。

だからといって登場人物の眼球がまっ赤に膨張したり、10秒で気絶したり、心不全で苦しむ姿を見せる必要はまったくない。夢と希望のフィクションなのだ。視聴者もそこは暗黙の了解としてスルーしたうえで、虚構の世界のロマンチック、センタメンタルを楽しんでいたのである。

ところが1979年、こうした宇宙SFアニメの根幹を揺るがす大事件が勃発する。

『機動戦士ガンダム』の登場である。

ヒマワリ

国産アニメのエポックメーカーは2人。ジブリの宮崎駿さんとガンダムの富野由悠季さんです。僕の独断です。
放映開始その年に放映されたテレビアニメ作品
1979年『赤毛のアン』『ゼンダマン』『花の子ルンルン』『サイボーグ009(2作目)』『ドラえもん(2作目)』『ザ☆ウルトラマン』『機動戦士ガンダム』『アニメーション紀行 マルコ・ポーロの冒険』『新巨人の星Ⅱ』『金髪のジェニー』『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち(特番)』『円卓の騎士物語 燃えろアーサー』『科学忍者隊ガッチャマンF(3作目)』『ベルサイユのばら』
1980年『トム・ソーヤーの冒険』『ニルスのふしぎな旅』『メーテルリンクの青い鳥 チルチルミチルの冒険旅行』『タイムパトロール隊オタスケマン』『ふた子のモンチッチ』『釣りキチ三平』『伝説巨神イデオン』『がんばれ元気』『怪物くん(2作目)』『とんでも戦士ムテキング』『おじゃまんが山田くん』『鉄腕アトム(2作目)』『鉄人28号(2作目)』『宇宙戦艦ヤマトⅢ』『あしたのジョー2』

『機動戦士ガンダム』の登場で、アニメブームは頂点に達する

まずは黙ってこの動画を観ましょう。いいですネ。ガンダムの世界って。

『ガンダム』の世界——メカデザイン、舞台設定、人物造形、その背後にある思想と哲学

①リアルな造形のメカ

『ガンダム』に登場するロボットは「モビルスーツ」と呼ばれ、軍隊が量産を目的に開発した兵器。いわゆる戦闘機や戦車と同じ位置づけなのだが、科学技術の粋を集めてつくられており、通常の作戦行動はもちろんのこと、突発的な事態にも機動的に対応できることから、「機動兵器」という呼称が用いられている。

巨大ロボットが登場するアニメは過去にもさんざん制作されてきたが、ガンダムに出てくる「モビルスーツ」は、それらとは一線を画す、他に類を見ないものだった。

横浜・山下ふ頭に展示されたガンダムの実物大模型。約18メートルある。出典/産経新聞 © 創通・サンライズ

②リアルすぎる戦争

モビルスーツは単なる兵器のひとつ。多くはすでに量産されている。同様に戦艦(宇宙戦艦、宇宙空母)などの多くも量産されている。

『ガンダム』ではだから、何種類ものモビルスーツや兵器をたくさん搭載した戦艦が軍司令部の命令にしたがい、軍事作戦に従事している。

そこで敵と遭遇すれば小競り合いが起こるし、大規模な作戦では同じ型のモビルスーツが何十、何百と出てきて、敵味方が入り乱れての大乱戦を繰り広げることもある。モビルスーツだけのゲリラ作戦もあれば、スペースコロニーや小惑星を地球に落とすという過激な作戦もある。

とにかくリアル。『ガンダム』における、地球連邦軍とジオン公国の戦争は、文字どおりの「戦争」。主人公たちは、政治家や軍上層部が指揮を執る戦争において、いくらでも補充のきく一兵卒にすぎず、黙って上官の命にしたがうほかはない。

主人公らがみずからの意思で、単独で敵と戦う、これまでのロボットアニメとはなにもかもちがう。

コロニー落とし

ジオン軍の作戦により、スペースコロニーが地球に落下。むろん被害は想像を絶する甚大なものだった。© 創通・サンライズ

③主人公はただの一兵卒で、内向きの屈折した自我の持ち主

主人公アムロ・レイは、なりゆきから開発中の新型モビルスーツ「ガンダム」のパイロットになる。その性格はとても内向的で、しかも思春期のただ中にある。

戦闘におびえ、ときに敵前逃亡してしまうこともあれば、味方のピンチを救い、自分を特別なパイロットと勘違いして、横柄にふるまったりもする。上官から叱責や懲罰を受け、ふてくされて目の前の戦闘をボイコットすることもある。

ヒーローなどではない。

アムロだけでない。『ガンダム』の登場人物はみな、理想と現実のはざまで葛藤している。彼らは僕らと同じで、血の通った人間なのだと感じさせてくれる。

アムロとブライトの有名なシーン。「 2度もぶった! 親父にもぶたれたことないのに! 」「それが甘ったれなんだ! 殴られもせずに1人前になったやつがどこにいるものか!」「もうやらないからな。だれが2度とガンダムなんかに乗ってやるものか! 」 © 創通・サンライズ

④人の生死と実存をドライに描く

味方の兵士も敵兵も、どんなに重要なキャラクターであっても、ファンに愛されていても、この『ガンダム』の世界では唐突に命を落とす。戦争なら当たり前なのだが、それにしても容赦がない。

そのさまが、神の視点から淡々と描かれる。情緒的な描写は、意図的にだろうか、排除されている。

たとえば、アムロあこがれの女性将校マチルダは、ジオン軍のドム(モビルスーツ)の指に身体をつぶされ、あっけなく戦死する。最期の言葉もない。それでもアムロは『ヤマト』の登場人物のように、「大切なのは、戦いじゃなく、愛だ!」なんて叫んだりはしない。

『ガンダム』は人間存在から逃げない。徹底的に実存を見つめていく。

マチルダの死。ガンダムを駆るアムロを助けようと輸送機で敵に突っ込むが、反撃に遭って操縦席を叩き潰される。㊤彼女の最期をアムロが幻覚として見ている。 © 創通・サンライズ

⑤ディテールにまでこだわったメカや舞台設定

モビルスーツは純粋に兵器であって、過去のロボットアニメのように主人公に特別に託された、正義のシンボルではない。キャラクターデザインを担当したアニメーター、安彦良和さんはだから、実在の軍隊に配備されている兵器や武器の設計思想を『ガンダム』に持ちこんだ。

『ガンダム』に登場するメカの特徴をひとことで表現するなら、機能美だ。

制作サイドやスポンサー(玩具メーカーなど)の都合でデザインされたものではなく(むろんそういう部分もあるだろうが)、モビルスーツが実際に存在するとしたら駆動系はどうなっており、シャーシはどんな素材がふさわしいかといったことを念頭に置きつつ、意匠を練りあげていったのだ。

単にミリタリーテイストをとりいれた、というようなことではない。

このほか、スペースコロニーや、「ルナツー」「ソロモン」「ア・バオア・クー」といった宇宙要塞の構造設計、宇宙空間でのジャミング(レーダーによる索敵を妨害すること)のために散布する「ミノフスキー粒子」など、細部まで独自の新鮮なアイデアやこだわりをぎっしりと詰めこみ、『ガンダム』の世界は構築されている。

その世界を横目でちらっと眺めるだけでも、『ガンダム』がそれまでのSFアニメと同列に語れるものでないことは容易に知れよう。

スペースコロニー

Amazon創業者のジェフ・ベゾス氏が構想を練る、円筒型スペースコロニーのイメージ。『ガンダム』に出てきたコロニーにそっくりだ。出典/宇宙ベンチャーBlue OriginがYouTubeに公式投稿した記者会見(2019年5月)

⑥進化した人類「ニュータイプ」概念の発明

ここまで紹介してきた要素だけをとりあげても、ほかのアニメとはまったく異なる異形の存在であることがわかる。さらにシリーズ後半に出てくる「ニュータイプ」の概念が、その世界観に際立って大きなスケール感と深い奥行きを与えている。

ニュータイプというのは、ひらたくいえばエスパーだ。第六感の進化した新人類というようなニュアンスである。地球の重力の軛(くびき)から開放され、人類が宇宙に暮らすようになったとき、秘められた能力が開放されるのではなかろうか、というテーゼがそこにある。

前述のようにアムロ・レイは日々、おのれの実存に苦悶している。自分勝手な理屈や感情に駆られて行動したあげく、それらが裏目に出てはまた苦悩する。

ひとの自我とはもともとエゴとナルシシズムの塊だ。人間だれでも生きていれば、そこにコンプレックスやトラウマが積み重なってくるため、ひとは死ぬまで実存——理想と現実のギャップに苦しめられることになる。

その原因はつきつめるとひとえに自我の存在に収斂する。自分と他者との区別、自我によって引かれた、こころとからだの内と外にある境界線が人生のあらゆる苦悩をつくりだすのである。これがひとの本性だ。

目覚めるまえのブッダはこういった。

「人生は苦悩に満ちている。この世は穢土である」(ゴータマ・シッダールタ)

だが覚醒(解脱)を遂げたあと、ブッダの目に映る世界は一変する。なにもかもが、醜いはずの人間の欲望やエゴまでが美しい輝きを放って見えたという。死の間際、ブッダはこういった。

「この世は美しい」(ブッダ)

アムロは作中、徐々にニュータイプへと覚醒。第六感が開くような体験をする。東洋哲学はこれを、第6のチャクラがまわる、と表現し、覚醒の途上で起きる現象とする。アムロの目覚めは完全なものではないが、それでも自分と外界との境界が消失するような感覚を味わうことになる。

『ガンダム』に組み込まれたニュータイプの概念は、古代の東洋哲学の思想とシンクロし、本作に神がかり的な輝きをもたらしている。

アムロ(下)とララァ(上)はともにニュータイプ。敵同士ながら惹かれあい、通じあう。シャア(右)もおそらくはニュータイプ。セイラ(左)はオールドタイプ(ふつうのひと)。 © 創通・サンライズ

ヒマワリ

安彦良和さんがどういう考えでガンダムの世界をデザインしたのかは知りません。富野由悠季さんがどういう思想でガンダムの世界をつくったのかも知りません。⑤と⑥の項は、ガンダムを見ながら僕はこう感じた、というようなことです。ご理解ください。あしからず。

同人誌、イベント、ガンプラ——『ガンダム』登場で、アニメブームはピークを迎える

「ヤマト」がアニメブームをつくり、その後に制作されたSFアニメ群がファン層を押し広げた。『ガンダム』はブームに乗ってやってきたファンを一過性のものとせず、固定化させたといえよう。

ティーンや学生、大人にまで広がった幅広いファン層の需要を、期待を大きく上回るかたちで満たしてくれたのだ。

結果、テレビアニメの制作本数が増え、アニメ専門誌の数も増え、同人誌などのファン活動はさらに活性化した。

1980年の放映終了後も『ガンダム』の人気に翳りが出ることはなかった。その年の7月には、ファン待望のプラモデル(ガンプラ)が発売された。

バカ売れした。入荷しても即日完売。模型店に何度足を運んでもお目当てのガンプラは売り切れ御免。子ども心にとても悲しい思いをしたことは、ガンダム世代の脳裏にいまなお鮮明に焼きついている。

当時のガンプラはほぼ1色。色は自分で塗らないといけなかった。最近のモデルは最初から色分けされており、組み立てると⬆になるらしい。ガンプラ人気はいまなお健在。© 創通・サンライズ

1981年には劇場版公開。前売り券は、行列ができるほどの驚異的な売れ行きを記録したし、公開直前に新宿アルタ前で開かれたイベント「アニメ新世紀宣言大会」には、2万人(公称)ものファンがつめかけた。

劇場版は3部作構成。映画版オリジナルの新作カットも追加され、テレビ版最終話までが映画化された。公開は、第1作が1981年3月、第2作「哀・戦士編」が1981年7月、第3作「めぐりあい宇宙(そら)編」が1982年3月。© 創通・サンライズ

『ガンダム』は『ヤマト』や『スリーナイン』のファンをまるごと呑みこみ、さらに多くのファンを獲得していった。1970年代の後半に始まったアニメブームはここにひとつの頂点を迎えたのである。

つづく

アニオタの誕生:1980年代に入ってブームが落ち着くと、アニメファンのオタク化が進行していった

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