『ヤマト』が巻き起こしたアニメブームは『ガンダム』でピークを迎え、その後はしだいに沈静化していった。

ヒマワリ
ヒマワリ

そのあたりの話は以下の記事にまとめてます。

ちょうどそのころ、アニメファン待望の家庭用VTR(ビデオテープレコーダー)、いわゆるビデオデッキが一般家庭に少しずつ普及しはじめる。その当時ビデオデッキはまだまだ高価だったが、まっ先に飛びついたのがアニメファンだった。

無理もない。録画再生可能なビデオデッキがあれば、放映時の1回こっきりしか観られなかったアニメ番組が繰りかえし観られる。欠かさず観ていたお気に入りのアニメ番組の名場面、最終回、大好きなヒロインのセクシーショットが何度でも観られるのだ。

アニメファンにとっては、まさに垂涎ものの機械だった。

VHS規格のビデオデッキ第1号(写真は米国モデル)。日本ビクターが1976年に発売。 写真/Groink

ビデオデッキの普及は、やがてセルビデオやレンタルビデオの登場と普及をうながし、かくしてニッポン全国津々浦々で、アニメオタク(アニオタ)が産声をあげたのだった。

前置きが長くなったが、今回はアニメファンのオタク化現象を軸に、当時それを後押しアニメ番組を振りかえってみたい。

世界初の家庭用VTR発売(1965年)

世界で初めて家庭向けにVTRを売りだしたのは、日本のソニーです。1965年のことです。19万8000円もしましたが、当時はこれでも驚異的な安さでした。が、普及はしませんでした。

ベータ規格のVTRが登場(1975年)

ソニーはその後も地道に研究開発をつづけました。そして10年後の1975年、独自規格「ベータ方式」のVTRを世に送りだします。今回はマニアや新しもの好きのあいだで話題を呼び、それなりのヒットに結びつきました。

VHS規格のVTRが登場(1976年)

翌年の1976年、日本ビクターがこちらも独自規格「VHS方式」でVTR市場に殴りこみをかけます。定価は25万6000円。録画テープ1本6000円。売れ行きはあまりよくなかったようです。

VHSのシェアがベータを超える(1980年)

当初のVTR市場はベータひとり勝ちの様相を呈していましたが、日本ビクター、シャープ、三菱、松下らVHS陣営は一丸となって対抗。相手陣営のソニー、東芝、三洋らも徹底抗戦の構えをみせましたが、1980年ごろVHSはベータのシェアをうわまわります。

といっても、この時点のVTR普及率は2%ちょっと。まだほとんど誰も持っていないに等しい。なにしろ当時は20万くらいしましたから、庶民はなかなか手が出なかったのです。

一家に1台まであとすこし!(1985年)

企業努力の甲斐あって、1982年に15万を切り、1985年には10万円くらいにまで価格がこなれてきます。普及率も27%ほどになりました。ようやく庶民でも手が伸ばせるようになったのです。

そうして1988年には世帯普及率が50%を超えるのです。

アニメオタク(アニオタ)誕生に貢献したアニメ〜

テレビ版『機動戦士ガンダム』は1980年頭に放映が終了したが、翌年には映画版の第1作と第2作「哀・戦士編」が公開となり、さらにその翌年1982年には第3作「めぐりあい宇宙(そら)編」が公開された。

映画もプラモも大当たりした『ガンダム』ですが、じつは本放送では低視聴率に泣きました。人気に火がついたのは、1980〜81年の再放送。そこで全国的にブレイクし、空前絶後の大ヒットにつながったのです。

もし再放送がなければ、当時はそこまで注目を集めなかったかもしれません。このころなぜか不遇をかこっていた宮崎アニメのように、のちに高い評価を獲得したのはまちがいありませんが。

あいかわらずガンダム人気はすさまじかったものの、アニメブーム自体は1981年ごろから少しずつ収束していく。子どもたちの興味はテレビアニメだけでなく、『週刊少年ジャンプ』などの漫画雑誌にも広がっていったからだ。

一方、より年齢層の高いご新規アニメファンに向けたテレビアニメも多く登場した。代表的なのは、次のような作品だった。

  • 『六神合体ゴッドマーズ』
  • 『戦国魔神ゴーショーグン』
  • 『銀河旋風ブライガー』
  • 『魔法のプリンセス ミンキーモモ』
  • 『未来警察ウラシマン』
  • 『うる星やつら』
  • 『超時空要塞マクロス』

見出し

こうした作品群は、ブーム直後にやってきた、テレビアニメの黄金時代を支えるとともに、アニメファンの心をがっちりと鷲づかみにした。

なかでも人気が沸騰したのは、1981年の『うる星やつら』と、82年の『超時空要塞マクロス』だ。

ともに目に刺激的なアクションや、ネチネチとリアルに描きこんだメカニックを登場させたことも、大きな魅力だった。「美少女とメカとアクション」というアニメファンが好む3大パターンを初めて確立させたのだ。

そのパターンは彼らにとって心地の良いものであり、それに盲目的にひたりこむことこそ、アニメファンのオタク化だった。

また、『うる星』『マクロス』のころから、同人誌やコスプレなどのファン活動はより過激なものに変わっていった。

アニメブーム期に、社会に向けられていたアニメファンの力が、アニメファンの内に向けられるようになったのが、このオタク化現象だともいえるだろう。

うる星やつら

これまで、美少女のセクシーな魅力をストレートに描いた作品はなかった。

SFタッチのアニメに登場させることによって、たとえ男に媚びるような女の子でも生々しさがなくなり、純情なアニメファンにきわめて都合のいい存在になるということが明らかになった。

超時空要塞マクロス

ストーリー簡単に。

異性との恋愛を知らない異星人が、地球人のキスシーンを見てカルチャーショックを受ける、というひと幕があり、ファンにおおいにウケた。

女の子との恋愛や三角関係を真正面から描いたSFアニメはなかった。

見出し

さて、このころのアニメ番組には、とにかく底抜けに明るい、ライトな作品が目立った。それは『ヤマト』『999』『ガンダム』などの宇宙SFアニメに通底していた閉塞感というか、ある種の息苦しさに対するアンチテーゼといってもいいかもしれない。

いずれにしろこうした作品群の登場は、アニメファンのオタク化の起爆剤となった。さらに、先述した家庭用VTR(ビデオデッキ)の普及もそれを後押しした。

ヒマワリ
ヒマワリ

ビデオデッキが普及したからオタクが急増したのか、オタク化したアニメファンがこぞって買い求めたからビデオデッキが普及したのか、ここらへんは謎です。まさに「ニワトリが先か、卵が先か」。ともかくアニメファンのあいだで、世間よりひと足早くビデオデッキが普及したことは事実のようです。

そして1983年、世界で最初のオリジナルビデオアニメ『ダロス』が発売された。

オリジナルビデオアニメーション(OVA)とはアニメファンの購買のためにつくられる新作アニメで、1985年くらいから急激に数が増え、『メガゾーン23』や『パース(バース?)』『夢幻戦士レダ』などその内容は「美少女とメカとアクション」のみのものが多く、さらに美少女アダルトOVA『くりいむれもん』も発売され、アニメファンのオタク化をますます促進することになるのだった。

巨匠 宮崎駿には不遇の時代だった

のちに『魔女の宅急便』などで、次々にヒットを飛ばして、一般にも高く評価され、アニメファンの人気も高まる宮崎駿。彼が、ブーム期につくった『未来少年コナン』や『ルパン三世 カリオストロの城』は出来はすばらしくよかったのだけれど、宇宙アニメ全盛のときに、ヨーロッパの古城からお姫様を救いだすようなアニメがウケるはずもなく、アニメブームにのることはなく、渋好みのファンに評価されたのみだった。

ブーム以前に宮崎駿が参加した『ルパン三世』の第一シリーズにしても、映画『太陽の王子 ホルスの大冒険』や『パンダコパンダ』にしても、のちにマニアに評価されたものの、公演時にはあまりあたらず、宮崎アニメはヒットしないというジンクスがあったのだ。

1984年の映画『風の谷のナウシカ』は、宮崎アニメの初めてのヒット作だった。この作品の持つ、自然と人間という現代的なテーマがアピールしたのか、ようやく宮崎駿のセンスと時代がマッチしてきたのか。以前の不人気がウソのように、この作品以降、宮崎アニメは一大ブランドになっていくのだった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です