古代ローマ帝国は、3つの文化圏へと解体してしまう。
- 西ヨーロッパ:ローマ中心のラテン語のキリスト教文化圏
- 東ヨーロッパ:コンスタンティノープル(ギリシア名はビザンツ)中心のギリシア語のキリスト教文化圏
- 北アフリカと中東:アラビア語のイスラム文化
だから、西ヨーロッパの「ローマ-カトリック中世」と区別して、東ヨーロッパを「ビザンチン中世」という。
北アフリカと中東には、アラビア語のイスラム文化が栄えた。632年にマホメット(ムハンマド)が死んだあと、中東と北アフリカはイスラム教が支配する。ほどなく、スペインもイスラム文化圏に入る。
イスラム教にとっては、メッカ、メジナ、エルサレム、バグダッドなどが聖なる都市だった。
ギリシアの自然科学は、イスラム文化系に組み込まれた
文化的に見ると、古代ヘレニズムの都市アレクサンドリアをアラブ人がひきついだことは大きな意味をもつ。なにしろ、ギリシアが誇る自然科学という大いなる遺産をひきついだのだから。
かくして、アラブ人は数学、化学、天文学、医学といった学問を中世を通じてリードすることになる。
こんにちでも、数学でアラビア数字を使っているのはその証拠。いくつかの文化で、アラブはキリスト教文化をしのいでいた。

