この記事は半世紀以上前の、フランスとイタリアのポップスの大流行についてまとめたものの後半部分となります。
前半部分はこちらですので、お読みでない方はまず目を通してくださいますとわかりよいかと思います。
60年〜70年代に日本で大流行したフレンチ・ポップス「イエイエ」が、いま聴くと新鮮!もくじ
同時期、イタリアのポップス「カンツォーネ」人気にも火がつく
ヨーロッパの音楽が日本で発売されて単発でヒットすることはそれまでにもあったようだが、それらは映画音楽とかムード・ミュージックに限定されていた。
ところが今回のイエイエ、すなわちフレンチ・ポップスの流行は、仕掛け人がいたのかいなかったのかは不明だけれど、とにかく大当たりしたことだけは事実である。
このフレンチ・ポップスの流行と前後して、イタリアのポップス「カンツォーネ」も日本の音楽シーンに新風を吹きこんだ。
ポピュラー音楽の音楽祭として、イタリアでもっとも権威がある「サンレモ音楽祭」の優勝曲、入賞曲がぞくぞくと日本でヒット。口火を切ったのは、1964年の「夢みる思い」(ジリオラ・チンクエッティ)と「ほほにかかる涙」(ボビー・ソロ)の2曲だ。
ジリオラ・チンクエッティの「夢みる思い」
ボビー・ソロの「ほほにかかる涙」
ヒマワリ
あと1曲だけ、僕が好きなカンツォーネを紹介します。ウィルマ・ゴイクの「花のささやき」です。いかにもカンツォーネという感じのキュートな曲です。
ウィルマ・ゴイクの「花のささやき」
カンツォーネは、日本語バージョンも多数ヒット
日本語がイタリア人には発音しやすかったのか、カンツォーネのヒット曲の日本語バージョンもたくさん吹き込まれ、同じ曲が2度ヒットすることもあった。
それにひきかえ、ギャルの「夢みるシャンソン人形」の日本語版などはなかなかに悲惨だ。前述したノエルの「そよ風にのって」などは例外で、フランス語圏から日本語でセルフカバーすることの難しさがわかる1曲となっている。
フランス・ギャルが日本語で歌う「夢みるシャンソン人形」
イタリアのポップスはメロディ重視
カンツォーネはメロディ中心の楽曲が多く、フランスのイエイエとは雰囲気がだいぶちがっていたのだが、日本では英語圏以外のヒットソングとして、テレビやラジオはおろかレコード屋でも一緒くたにして扱われていた。
そういうテキトーというか、おざなりな扱い方がコアなファンの育成を阻んだのかどうか。それはわからないけれど、60年代後半からイエイエもカンツォーネも徐々に人気が低迷しはじめる。
そのうちレコード自体も発売されることがなくなって、60年代中盤の黄金期だけが人びとの記憶に刻まれることになってしまう。
フランスのイエイエ、イタリアのカンツォーネのその後
人気こそ失ったものの、そののちも従来どおり大ヒット曲は日本にちゃんと輸入されている。
たとえば70年代、フレンチ・ポップスのブームが日本で再燃するのだけれど、これはミッシェル・ポルナレフというひとりのシンガーが引き起こしたもの。彼の紡ぎだすメロディーはとても甘く、多くの日本人女性の支持を集めた。
ミッシェル・ポルナレフのデビューで、フレンチ・ポップス人気ふたたび到来
ミッシェル・ポルナレフというひとは音楽の英才教育を受けている。パリ音楽院でクラシックを本格的に学んだ経歴の持ち主だ。それがどうして商業音楽の道へ行ったのか。
転機は、エルヴィス・プレスリーの音楽との出会いだという。エルヴィスでロックを知ったポルナレフは、クラシックへの情熱を失い、ギター片手に家を飛びだした。そしてモンマルトルでヒッピー生活を始める。そのときラジオディレクターと出会い、レコードデビューをめざすようになる。
そうして1966年にデビュー。ヒットをたくさん飛ばすが、日本での実質デビューは本国から遅れること5年。1971年のデビューシングル「シェリーに口づけ」が国内セールス40万枚の大ヒットとなり、その後はシングルやアルバムがコンスタントに発売されることとなった。
ヒマワリ
しかし日本での人気がどうあろうと、フランスやイタリアのポピュラー音楽はその後もずっと元気! 1970年代以降も順調に発展していくのであ〜る。
いろいろ紹介してきたけれど、フレンチ・ポップスといえば(僕のなかでは)この1曲!
おしまい
㊤「哀しみの影 Yesterday Yes A Day」。セルジュ・ゲンズブールが映画『マダム・クロード』(1977年)のために書いた曲。当時(内縁の)妻だったジェーン・バーキンが歌う。歌詞は英語。でも完全にフレンチ・ポップス。