フランスとイタリアのポップス歌手が日本で次々に大ヒットを飛ばし、一大ブームとなったことがある。1960〜70年代の話だ。彼らはヒットソングを引っさげて来日、喝采をもって迎えられた。
ところが60年代も後半になるとブームははや下火になった。そうして70年代に入ると忘れさられてしまった。
ところがこれ、いま聞くととっても新鮮。とくにフレンチ・ポップスなんて、半世紀以上たったいまでも日本のテレビドラマや映画などで挿入歌に使われることが少なくなく、当時のブームを知らなくても「どっかで聞いたことある」ということが少なくない。
そんな60年代、70年代のフランスとイタリアのポップスブームを、当時の音楽とともに振りかえってみましょ。
ヒマワリ
もくじ
シルヴィ・バルタン人気で火がついた、フレンチ・ポップス
1964年11月公開のフランス映画『アイドルを探せ』は、ブリジット・バルドー(冒頭写真)以上に人気のあるセクシーなフランス人女性の存在を日本に知らしめた。
作中、彼女はほんのワンシーン、ステージで歌うだけなのだけれど、その若々しくて妖しい魅力は、見る者のハートを一瞬でわしづかみにする。
彼女の名は、シルヴィ・バルタン。翌年の夏に早くも来日し、ファンは大喜び。フランスにはシャンソンだけでなく、新しい音楽が芽吹いていることを、日本人に教えてくれたのである。
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次々に日本へ輸入されるフレンチ・ポップス「イエイエ」
新しいこのフレンチ・ポップスは、シャンソンと区別するためか、「イエイエ」と呼ばれることになる。
イエイエはバルタン以降、どんどん日本に入ってくるようになるのだが、バルタンの成功が前提としてあるためか、女性歌手に偏りぎみだった。
バルタンの「アイドルを探せ」は、それほどに完成度の高い楽曲だった。ハスキーな声、低音の効いたリズム、それから歌にからむストリングスのチャーミングさ。ブームと関係なく、世界のポップス音楽シーンでも記憶に残る名作といえる。
フジテレビ系で1977年に放送された『あらいぐまラスカル』ってアニメをご存知ですか? 日曜の午前中に再放送していたのを観ていた口なのですが、その主題歌「ロックリバーへ」のイントロ部分が「アイドルを探せ」に酷似しています。そう思うのは僕だけ?
バルタンのあと、フランス・ギャルの「夢みるシャンソン人形」が大ヒット
バルタンについで人気となるのは、フランス・ギャル。文字どおり、若干16歳のフランスのギャル(若い女性)で、「夢みるシャンソン人形」という曲が大ヒットした。
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この曲を手掛けたのは、当時フランスで新しい音楽の担い手として頭角を現わしていたセルジュ・ゲンズブール。ギャルは彼の音楽でその後もヒットを放ち、独自の音楽スタイルを構築していく。
ギャルはバルタンの翌年、66年に来日している。
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シャンタル・ゴヤやマジョリー・ノエルらも同時期に活躍
シャンタル・ゴヤの「乙女の涙」
シャンタル・ゴヤは、フランスとカンボジアのハーフ。エキゾチックな魅力で人気に火がついた。
ソルボンヌ大学在学中、ファッションモデルのアルバイトをしていてスカウトされ、アイドル歌手としてデビュー。代表曲は「乙女の涙」。ゴダールの映画なんかにも何本か出演している。
マージョリー・ノエルの「そよ風にのって」
マージョリー・ノエルはパリ出身で、1964年にレコードデビュー。その翌年1965年にはヨーロッパで著名な音楽コンテスト「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」に出場して、「慕情の季節」で9位を獲得している。
日本でのデビューは「慕情の季節」B面の「そよ風にのって」の日本語セルフカバー。日本語の歌詞をたどたどしく歌うのがウケて、大ヒットした。南沙織がカバーしたほか、竹内まりやも「姉が好きだった曲」だとして、アルバムでカバー。軽やかなカンツォーネ風だけれど、もちろんフレンチ・ポップス。
フレンチ・ポップス人気に負けず劣らずの、イタリアのポップス「カンツォーネ」
このままつづけて書くつもりでしたが、動画がたくさんあるせいかページがとても重たい。
ということで、イタリアのポップスの話は次のページにまとめました。
本来は1本の記事ですので、話はつながっています。ぜひこのままつづけてお読みください。
60年代に流行! イタリアのポップス「カンツォーネ」の魅力を再発見