地上にはこんにち100万種以上の動物がいる。
それでも、これまで地球上に出現した動物種のほんの一部。三葉虫のように完全に絶滅したものもいれば、200万年ずっと変わっていないものもいる。動物も植物も、同じひとつの「原細胞」から分かれていったのだ。地球上の生命はだから、みんな同い年だ。
その原細胞はいったいどこからきたのだろう、現代科学はその答えを「最初の生命細胞は無機物から発生した」と仮定している。いわゆる「原始のスープ」である。
もくじ
この星の生命は、動物も植物も同じ物質でつくられている
地上のすべての生命、つまり動物も植物もまったく同じ物質からできている。
生命のもっとも単純な定義は、新陳代謝を行ない、増殖する、ということだ。増殖はDNA、デオキシリボ核酸に支配されている。すべての生命細胞にある染色体、あるいは遺伝物質がDNAでできている。
DNAはとても複雑な分子、いわゆる高分子だ。問題は、最初のDNA分子がどういうふうにできたのかということだ。地球は46億年前に太陽系とともに誕生した。現代科学は、生命は30~40億年前に生まれただろう、と考えている。
このころ大気中には酸素がなかった。これが重要であった。もし酸素があったら、DNAのような複雑な分子はできなかったからである。できあがる前に酸化してしまうのだ。
オゾン層がなかったのも重要な条件だった。宇宙から降りそそぐ放射線——宇宙線は最初のこみいった構造の分子ができるとき、重要な役割を果たした。宇宙線はエネルギーとなり、地上のさまざまな化学的な物質を高分子に結合させたようだ。
生命の発生プロセス
まとめると、原子の海、すなわち「原始のスープ」からあるとき、とてつもなく複雑な高分子が発生した。この高分子には、自己分裂ができるという性質があった。これが長い進化の始まりとなる。最初の遺伝物質、最初のDNA、最初の生命細胞の誕生である。
分子は分裂を重ねた。途方もな長い時間をかけ、この単細胞の有機体は寄り集まり、多細胞の有機体になった。そして植物の光合成が始まった。酸素を含む大気ができていった。
大気は2つの役割を果たした。酸素で呼吸する動物の進化をうながした。そして生命を宇宙線から守ったのだ。だから最初の両生類は、陸地に這いあがることができたのだ。
こうした生命進化のプロセスは、僕ら人間にも記憶されている。
生命の誕生、進化を偶然で片づけることはできない
地球における生命の誕生と進化はすべて偶然だったのだろうか。
そうではない。進化はある方向に向かっているからだ。何十億年もかかってますます複雑な神経系統をもった、それからついにはますます大きな脳をもった動物がつくられていったのだ。偶然と呼ぶには、あまりにできすぎているし、歴史は美しい。
人間の眼が、純粋な偶然でできたとは考えられない。僕らがこの世界を見ることには、なにか特別な意味があると思える。眼のように繊細なものが自然選択だけでできたとはとても思えない。ダーウィンもそういって驚いていた。
この星に生かされているという奇跡
わたしは生きている、たった一度生きている、そして二度とこの世界には戻ってこない。なんて不思議なのだろう。
ゲーテの『ファウスト』に登場する悪魔、メフィストフェレスは、ファウストが死ぬやいなやこう叫んだ。
「われら被造物を無へとひきさらう永遠の創造。そんなもの、なんになる? 何もなかったと、同じじゃないか。何かがあったかのような、堂々巡りの空回り」(ゲーテの『ファウスト』より)
しかし、ファウストはいまわの際、生涯をふりかえってこういった。
「瞬間(とき)よとまれ、おまえは美しい! わたしの地上の日々の痕跡は、永劫へと滅びはしない。その幸せの予感のうちに、今味わうぞ、この至高の瞬間を」(同)
死の直前、ブッダは何度も何度も「世界は美しい」と口にした
「人生は苦しみに満ちている。ひとの人生は苦痛そのもので、この世は穢土(えど)だ」
この世は一切皆苦だと感じたシャカ族の王子ゴータマ・シッダールタは、家族を捨てて出家。肉体を痛めつける極端な苦行を重ね死線をさまようが、とある娘に助けられる。そうして息を吹き返した彼はそののち、菩提樹のもとで禅定に入った。
悪魔マーラが顕われた。マーラは脅迫を繰り返し、シッダールタの心に恐怖を植えつけようとしたが、彼は動じない。マーラの脅しも誘惑も跳ねつけて、人間を超える存在「ブッダ」(目覚めた者、の意)となったのだ。それから40年間は、ただ大衆を強化するためだけに生きた。
80歳になったブッダは間近に迫る死期を悟り、故郷をめざす旅に出る。その旅の途中息絶えることになるのだが、その間ずっと繰り返し「この世は美しい」と口にしていたという。「木々は美しい」「ひとの命は美しい」「愛欲にまみれたひとの命はしかし、美しい」⋯⋯。
この世を不浄の地(穢土)として出家、苦行三昧の日々を送り、目覚めたのちに死を目前にそう口にするのである。
紀元前455年ごろのできごとだ。ブッダの肉声を収録した原始仏典『大パリニッバーナ』に、ブッダの遺言としてこのエピソードは書かれている。ゲーテは知っていたのだろうか。


さいごに
地球とか宇宙のことを考えていると、人間の、ひいては自分のちっぽけさが際立ってきて、子どものころから感傷的になったものである。
たしかに僕らはちっぽけな生命体だ。でも大きな連環のなかの大切な一部分として、大きななにかの一端をになっている。僕らは命の惑星であり、宇宙で燃えている太陽をめぐって航行する舟なのだ。
僕ら一人ひとりも、遺伝子を乗せて生命の海を行く舟だ。この積み荷をつぎの港に運んだら、僕たちの生は無意味ではなかったことになるのではないだろうか。
谷川俊太郎さんがこんな詩を書いている。
そして私はいつか
どこかから来て
不意にこの芝生の上に立っていた
なすべきことはすべて
私の細胞が記憶していた
だから私は人間の形をし
幸せについて語りさえしたのだ




