冬の寒い夜、母がよく童謡を歌ってくれました。うちには表紙のすり切れたボロボロの歌詞本が2冊ありまして、妹とそれを見ては、「次はこれ」「ダメー、こっちがいい!」とケンカしながら母にリクエストし、自分たちもいっしょに口ずさんだりして……。
娘ができてすぐ、わたしは童謡のCDを買いました。娘がぐずるといつもそれをBGMとして聴かせていました。すると、たいてい、スヤスヤ寝入ってくれるのです。
たぶん、日本人の心の底に広がる原風景を表現した音楽だからでしょうね。
子々孫々へと伝えていきたい、定番の童謡を10曲、えりすぐってご紹介しましょう(-ω-)
日本人ならだれもが口ずさめるオーソドックスなものばかり。
動画と歌詞のほか、その歌にまつわるエピソードも添えておきます。子どもに歌を教えてあげるとき、わけしり顔でウンチクを傾けられるように(笑)。
「サボさんまいったな!」や「オフロスキーかぞえうた」もいいけれど、たまには日本のトラッドな歌に心をとっくり傾けてみるのもオツなもンですヨ。
もくじ
子どもに伝えていきたい、定番中の定番の童謡10選
「赤とんぼ」の動画と歌詞
前半は「アメージング・グレイス」。「赤とんぼ」はまんなかあたりから。詩を書いたのは、詩人の三木露風さん。その数年後の大正10年(1921年)、あの名高い作曲家、山田耕筰センセがメロディをつけました。
露風さんは、幼少期にお母さんと生き別れになって、祖父宅で育ったそうです。その家には、若いお手伝いさん(ねえや)がいて、とてもかわいがってもらったそう。そういう少年時代の思い出を「赤とんぼ」の詩に焼きつけたわけです。
簡潔できれいな曲ですネ。シンプル・イズ・ベスト。単純であるからこそ力強い。うちの娘をカラオケに連れていくと、かならずこれを歌っています。
「故郷」の動画と歌詞
どこもかしこもコンクリートで覆われてしまった現代とちがって、昔の子どもたちはみんな、野原や田畑を駆けまわり、虫を捕まえて魚釣りをして遊んでいました。わたしも、です。
子ども時代のそんな自然とのふれあいが、無駄のない、けれども無限の広がりを感じさせてくれる言葉と、格調の高いメロディーに乗せてつづられていきます。
作詞家の高野辰之と、作曲家の岡野貞一の手になるもの。この2人は名コンビ。ほかにも「春の小川」や「紅葉」「朧月夜(おぼろづきよ)」などの作品を生みおとしました。
大正3年(1914年)発表の曲。
「どこかで春が」の動画と歌詞
春の合唱の定番曲ですね。これも大正時代、大正12年(1923年)につくられました。
雪解け水が流れだして、木々や大地は緑の芽をいっせいに吹き、ヒバリがピーチクパーチクというかまびすしい鳴き声をたてて、春先の冷たい空気をふるわせている――。こんな情景がビビッドに描かれています。
ただし、この動画はジャズアレンジで、スローでメロー(-_-)
メロディーがきれい。大好きな曲です。この旋律の作者たる草川信さんは、「夕焼小焼」や「汽車ポッポ」の作曲者としても知られています。
「紅葉」の動画と歌詞
昔から紅葉の季節にはもみじ狩りを楽しんできた日本人の心の歌、それがコレ。目をつむると、目が覚めるような朱色や金色におおわれた山々がありありと浮かんできますよネ。
蛇足ですが、「(紅葉)もみじ」というのはカエデのことです。カエデが赤く染まることを「紅葉(こうよう)」といいます。黄色くなるのはイチョウ。イチョウが黄色くなることは「黄葉」と書き、こっちも「こうよう」と読みます。秋になったら、物知り顔でだれかに教えてあげましょう。
明治44年(1911年)に生まれた歌です。
「虫のこえ」の動画と歌詞
秋になるとモソモソと這いだしてくる虫たちが主人公。ポップでナイスなソングです。子どものころ、この歌を何度も口ずさんで、秋の昆虫がそれぞれどんなふうに鳴くか覚えこんだもンです。わ、なつかしー。
秋になるたび、この曲に登場する虫を全部つかまえて本当にそんなふうに鳴くかどうかたしかめてやろうと意気込んだものですが、くつわ虫と馬おいには一度もお目にかかったことがありません。もう死ぬまで見ることはなかろう、と思います。
当時の国語の教科書に載っていた詩に、文科省が曲をつけたそうです。明治43年(1910年)作。小学校の唱歌として愛されてきました。
「背くらべ」の動画と歌詞
大正8年(1919年)にできた歌で、最初は女の子向けの読み物雑誌に発表されたとか。作曲家は、中山晋平という人です。ほかに「シャボン玉」とか「アメフリ」なんかをつくった人。詩は、「おもちゃのマーチ」の海野厚さん。
7人兄弟だった海野さんは、生家の光景をこの詩にまとめたそうです。昔は、本当に柱に傷をつけて身長をはかっていましたよね。うちもそうでした。だから、実家に帰ると、いまでもわたしの成長の記録がお風呂場の柱に残っている。
この曲が流れてくると、なぜだかわかりませんがカツオとワカメが頭に浮かびます。
「シャボン玉」の動画と歌詞
「シャボン玉」は作詞家、野口雨情さんの作品。大正11年(1922年)作。明るい曲調ですが、ご存知のとおりです。生後8日でなくなった長女をしのんで書かれた詩です。だからでしょうね、なんとなくもの悲しい……。
当時は医療技術が現代とくらべると未熟で、食糧事情もよくなかったため、多くの赤ちゃんや子どもが成長を待たずしてなくなっていた。だから、わたしらの親や祖父母の世代は兄弟姉妹が多かったンですね。何人産んで何人生き残るか、という厳しい時代だったわけです。
小さな命がもうこれ以上、シャボン玉みたいに消えてしまわないように、という願いを、作者の野口雨情はこの歌にこめた。やさしい人だったそうです。
「七つの子」の動画と歌詞
これも野口雨情さんの作品。野口雨情さんが優しい方だ、ということは、この歌の歌詞からもよくわかる。
だって、カラスなんてみんな大嫌い。とくにこの歌のモデルのハシボソガラスは、鳴き声は「カアー、カアー」どころか、「ガアッ、ガアッ」です。それを「可愛、可愛」といっている、というのですからね。
ちなみに、不幸の象徴とか地獄の使いとまでいわれるカラスですが、わたしらのご先祖さまは神様の使いだと信じていたそうです。いまでも「八咫烏(ヤタガラス、3本足のカラス)」を奉(まつ)る神社もありますしね。犬猫よりずっと賢いですし。
大正10年(1921年)の作品。小ガラスが7羽いる、とずっと思っていましたが、調べてびっくり! 小ガラスは1匹でした。その子が7歳なンだそうです。
「めだかの学校」の動画と歌詞
昭和25年(1950年)に発表された曲。比較的新しめですネ。
この詩を書く数年前、作詞家の茶木滋さんは6歳の息子さんと用水路沿いを散歩していました。そのときメダカを見かけたので近寄ってみたら、メダカたちがさっと逃げてしまった。すると、息子さんが、「ここはメダカの学校だから、そのうち戻って来るよ」といったのだそうです。
そのひとことに着想を得て、この詩が誕生したといいます。それを知って、わたしは、ほほう、と感心したものです。だって、親をやっていればそんなこと日常茶飯事。でも、わたしの脳みそから、子どもを癒やす、こんなふわっとした詩は飛びだしてはこない。
クリエイターって、昔もいまもアンテナの感度が、常人とは別次元なのでしょうネー。
「この道」の動画と歌詞
これも大作曲家、山田耕筰さんの作品。昭和2年(1927年)作。
歌詞を書いたのは、こちらもチョー有名人、北原白秋さん。彼は樺太へ旅行し、その帰り道に札幌へ足を伸ばした。そのとき感じたことを詩にしたためたといいます。
なにもかも知っている風物だといい、母親と馬車で来たことがある、とまでいっていますが、じつは「そんな気がする」という話。なにしろ、白秋さんの出身地は九州。札幌に行ったのはそのときが初めてだったそうですからね。
つまり、デジャブ(既視感)がテーマ。斬新ですねー。それにしても、札幌のなにが九州の故郷を彷彿させるスイッチを入れたのでしょうか。わたしも札幌に行けばそういう気分なるのかしら、といろいろ想像がふくらみます。
そうそう、山査子はこれ。
さいごに
いかがでしたでしょうか。
この記事を書くにあたって、童謡のことをいろいろ調べているうち、その奥深さをあらためて実感した次第です。一つひとつの歌には当然、いろいろと背景がありドラマがあるのです。
いろんなバージョンを繰り返し聞いているうち、心が洗われるような気持ちになりました。
人生のけもの道に迷い込んでしまった、なんて方は、ここでご紹介した童謡に心魂傾けてみると、何かが変わるかもしれませんヨ。