インターナショナルスクールといえば、まっ先に頭に浮かぶのは芸能人。木下優樹菜さん、小雪さん、梨花さん、吉川ひなのさん、紗栄子さん、伊東美咲さん……。
例を挙げたら枚挙にいとまなし。
それにしても、タレントママや女優ママたちはキチンとした考えがあって、子どもをインターナショナルスクールに通わせているのでしょうか。
友人夫婦(国際結婚)も、子どもを歴史のあるインターナショナルスクールへ通わせています。このケースはよくわかるのです。彼らの子どもは二重国籍児童だし、いつ海外へ引っ越すかわからない。同様に、帰国子女が自分と同じように子どもを海外の大学へ進学させたいからと、インターナショナルスクールを検討するのもまあ、わかる。
けれど、英語なんてろくすっぽ話せもしない日本人の両親が、わが子をインターナショナルスクールに入れたがる、というのはあまり理解できないのです。うちの娘は大和撫子(ヤマトナデシコ)なのだから、大和男児(ヤマトオノコ)と机をならべるべきだ、とか思うわけです。
あと、日本の教育システムのほうが、日本人の彼女にはフィットするはずだ、とも。
そんなふうに考えていたら、ある大きな問題に直面しました。考えてみたら、インターナショナルスクールの実態を、自分はなにも知らない。否定するだけの論拠がない。
そこで、インターナショナルスクール組の親御さんたちが集まるというパーティへ、呼ばれていなのに潜入し、気になったことを根こそぎ聞いてきました。帰宅後もいろいろ調べた。
それを備忘録的に記しておきます。
記事テーマは、
ごく一般的な日本人家庭にとって、インターナショナルスクールは、ステイタス感と優越感を感じる以外になにかメリットがあるのか? ないのか? むしろデメリットがあるのではないか?
というネガティブなものです(笑)。
でも、ジャッジは公平におこないます。記事の内容にも正確さに十分な注意を払いますから、安心してお読みください。
もくじ
インターナショナルスクールの利点と欠点、庶民の子が通うことの是非
グローバル化した世の中で、世界を股にかけて活躍する大人になってほしい。こんなふうに考えて、子どもをインターナショナルスクールに入れたがる日本人親が増えているようです。
しかし、こんな薄ぼんやりとした動機でもって、子どもの大切な将来を左右する選択を、親が勝手にくだすのは非常にまずい。インターナショナルスクールの特徴と利点と欠点を知れば、考えが変わるかもしれません。
1.英会話学校ではない
インターナショナルスクールというのはそもそも、在日外国人のための教育施設です。入学すれば、子どもが英語ぺらぺらになる、と考えている方がいますが、misunderstanding!
英語で勉強する学校です。全授業、英語です。英語を身につけるために入学しようというのは、順番が逆。それ以前に、多くのインターナショナルスクールでは、入学条件に「海外の学校に3年通っていた程度の英語力」を掲げています。
2.家庭で英語力を身につけさせる必要がある
英語で読み書きできないと落ちこぼれます。これを回避するには、自宅で英語力を鍛えてあげるほかない。
国際結婚夫婦のように、片親がネイティブスピーカーで、家庭で英語が日常的に飛び交っているような状況ならなんら問題ありません。が、そうでない場合、入学前から入学後しばらくは英語の家庭教師が必要です。英会話スクールに通わせる、という手もあります。
どっちにしろ、これだけで年間数十万の出費です。
当然ながら、学校関係者は外国人が多く、やりとりは英語。書類も英語だったりしますから、父母のどちらかはしっかりした英語力が必要。さきほどの「misunderstanding」の意味が「思い違い」だとわからなかった親御さんは、ご自身も英語力を鍛える必要があります。
もっとも、それを苦痛と感じるか、自分磨きができて楽しいと感じるかは、その人次第。現に、子どもをインターナショナルスクールへ入れると決めて、自分も英語の勉強を始めたら楽しくなり、以前は苦手だった海外旅行にも積極的に行くようになって人生ハッピー、という親御さんもおられますからねー。
3.とにかく学費が高い
ほとんどのインターナショナルスクールが、日本の義務教育とは無関係に運営されており、国の認可を受けていません。だから、助成金がもらえない。
学費が高いのは、覚悟が必要です。相場は、
- 入学金30万円。
- 年間授業料200万円。
- 教材や管理費などでウン十万。
- 寄付金を求められるところもある。
- サマースクールを開催する場合、別費用。
さらに、後述するように、インターナショナルスクールへ入学するためには、幼児期から英語保育園に通わせる必要があります。英語保育園も、日本の認可保育園ではないですから、
- 年間保育料100~200万円。
合算すると、
- 小学校卒業までに最低2000万円。
が必要です。
中学部、高校部へ進学すれば、さらにこれ以上の学費がかかります。高校部卒業後は、ほとんどの子が海外留学します。海外留学費用の目安は、1年で200~350万円といったところです。
留学先 | 大学の種類 | 授業料+滞在費+食費の目安(年) |
---|---|---|
子ども1人分の教育費で、都内でファミリータイプのマンションが買えますね。郊外なら、わりと広めの庭付き一戸建てが建てられます。
インターナショナルスクールの保護者に、お金持ちの外国人(外交官や企業幹部など)や、医者や弁護士、芸能人が多いのも納得ですね。
4.欧米の教育カリキュラムを導入している
インターナショナルスクールは、教育カリキュラムは欧米のものが中心。文部科学省が策定した「学習指導要領」は無視しています。
子どもをどうしても海外の大学に進学させたいなら、インターナショナルスクールという選択肢もアリです。実際、卒業後はハーバードやコロンビア、ケンブリッジ、バークリー音楽大学といった外国の名門校へ進学するケースも少なくないようです。
この場合に注意したいのは、「国際バカロレア資格」という、グローバルな大学入学資格が得られる学校(くわしくこの記事に書きましたが、ひらたくいうと国際的な大検資格です)を選ぶと◎です。
国際バカロレア資格を持っていれば、海外の大学を直接受験できます。一定の成績以上の子なら、海外の名門大学に入試免除で進学できることもあります。
が、海外留学を明確にイメージしていなかったり、日本の大学でもいいかな、とか考えているなら、わざわざインターナショナルスクールに入れる必要はありません。へたすると、卒業しても大学受験資格がなく、「大検」を受けなきゃならない、といった状況になりかねません。
5.スクールによって、教育レベルや学力差が大きい
しっかりとした教育理念をもち、優秀な教員をそろえ、一人ひとりの子どもの能力や特性に合わせた丁寧な指導をおこなっているところもあります。こうしたインターナショナルスクールは日本の名門私立のように設備も整っていることが多い。
反対に、公立の学校より設備が不十分で、教員資格のない外国人を集めて、カリキュラムも決めず、テキトーな授業をおこなっているという、駅前留学的な学校も実際に存在しているようです。
6.日本語力が育たない心配がある
インターナショナルスクールでは、学校の先生はもちろん、友だちとも基本的に英語で話します。また、日本の学校で習う「国語」は、インターナショナルスクールでは「日本語」となり、外国語扱い。平均で週2コマほどしかありません。日本の小学校の場合、国語の授業時間は週5~8コマです。
7.日本の学校への編入が困難なことも
文科省の見解によれば、インターナショナルスクールの小学部を卒業後、日本の中学校へ入学したり、同小学部から日本の小学校、同中学部から日本の中学校へ編入したりすることは基本的にできないということになっています。
参考 小・中学校への就学について文部科学省ホームページヒマワリ
「学教法」で定められた就学義務を果たしておらず、日本の小中学校の卒業資格をもたない児童・生徒だからです。市町村によっては、義務教育違反のかどで、どうして日本の小中学校に普通に通わせないのか、親に問い合わせするところもあるそうです(ま、都会ではまずないでしょう)。
ただし、実際のところは小中学校への途中編入はできるそうです。高校については、受験させてもらえないところもあります。が、たいていは帰国子女枠でなんとかなるケースが多いようです。
結論
ここまでインターナショナルスクールの特徴、長所と短所をつぶさにみてきました。では、最初に掲げた「問い」を解いてみることにしましょう。
庶民的な生活を送っている日本人家庭にとって、インターナショナルスクールは、ステイタス感と優越感を感じる以外になにかメリットがあるのか? ないのか? むしろデメリットのほうが大きいのではなかろうか?
解
普通の日本人の親御さんが、5000万円もかけて子どもをインターナショナルスクールへ押しこむ理由はみつかりませんでした。日本の国はもうダメだから、子どもは将来、海外移住させて、向こうで仕事をみつけさせるとか、そういう明確な目的意識がないかぎり、無意味でしょう。
これからの日本人には国際感覚が必要、とよくいわれます。インターナショナルスクールでこの国際感覚が身につく、ともいわれています。
が、そこで手に入る国際感覚というのは、外国の文化や生活習慣、思考の枠組み、価値観を知る、というようなことで、たしかに外国人とのコミュニケーションは上手になると思いますが、それは本物の国際感覚ではない、とぼくは思っています。
どういうことかというと、国際感覚というのはむしろ、パトリオティズム(愛国心)のなかから芽吹くものだからです。自分が生まれ育った土地への愛着、民族愛、それらに裏打ちされた歴史認識や民族的文化への理解と矜恃。そういう日本人としての核を身につけることで初めて、外国人と対等につきあえるし、彼らのリスペクトが得られるのです。
外国人と話していると、祖国意識というものをいつも感じるし、彼らは、多くの日本人が祖国への帰属意識が希薄であることを不思議がります。
国際感覚なるものを子どもに身につけさせたいなら、まずはひとりの日本人として、しっかり育てることを考えるべきでしょう。
小さいころからへたにインターナショナルスクールなどへ行き、外国人先生から海外の教育を受けたり、外国文化にどっぷり浸かっていたりすると、日本人ならだれしも持っている、歴史・文化面の共通認識が育たないし、日本人としての心――そう、大和魂が醸成されないという心配もあるのではないか、とぼくは思うのです。
外国の教育システムは、学問とならんで、祖国や民族社会への帰属意識をしっかり身につける、ということも大きな目的のひとつになっていますからね。
後日譚
後日、当事者である娘に、
「外国人の友だちがたくさんいる小学校と、日本人の友だちばかりの小学校、どっちがいい」
と聞いたみたら、
「うーん。どっちも……。てか、小学校行かなきゃダメかなあ」
勤勉と和の心を重んじる大和民族の血を引く者とは思えぬ、ふぬけた発言が帰ってきました。遺憾です。
おまけ
結論を出しておいてなんなのですが、インターナショナルスクール父兄パーティに参加して、せっかくいろいろと話を聞いてきたものですから、学校選びのポイントをここへまとめておきます。
photo credit: 2007 Commencement 012 via photopin (license)
子供を老舗インターに通わせている者です。
国際結婚をしているので、子供は第一言語が英語、将来また海外に出る予定なので、我が家としてはインター一択でしたが、こちらの記事には頷ける点が多々ありました。
正直なところ、インターで問題児になってしまうお子さんは、実は生粋の日本人家庭の子に多いです。
国籍や人種が日本人であっても、親がインター卒や海外育ちの方たちは別です。
単に海外駐在期間が2年か3年あった程度で、「子供の英語力のために」とインターを選ばれるご家庭。
色眼鏡で見るのは良くないですが、男の子も女の子も問題が多かったです。
結局、親がちょっと無理して高額な学費を払っている方が多いため、子供にかける期待が大きいこと。
そのために、学校外で数多くの習い事をさせたり、良い成績を期待し過ぎていること。
結果として子供にストレスが掛かり過ぎているようです。
大人の居るところと子供だけのところで態度が違うためお友達と上手くやれなくなる子、いじめを始める子、少し大きくなって来た頃に犯罪行為に走る子。
問題が発覚すると、例外なく親御さんは事実を認めようとはせずに子供を庇います。
そんなつもりじゃなかったとか、他の子が悪いとか。
何度か繰り返すうちにお友達がいなくなり、孤立し、中学生になる前くらいでやめていかれる方も多いです。
外国人保護者(もしくは国際結婚の日本人など)の間では、「ああ、また日本人の子か」みたいに言われることも多く、とても残念です。
また、インターにステイタスを感じている方ほど、白人の教員をチヤホヤしてしまう傾向にあり、一部の教員は図に乗るというか、次第に日本人保護者を見下すようになってしまうようで、これも非常によろしくない、残念なことかと思います。
貴重な書き込み、どうもありがとうございました。
わが国は戦後、占領政策の影響もあり、アメリカ一辺倒でやってきました。英語は義務教育に組みこまれていますし、日本語に翻訳される映画や書物なんかもほとんどが英語から。そうして昨今、「国際人」をめざし、英語学習に打ちこむ人は老若男女問わず増えるばかり。
もちろん、それを悪いと決めつけるつもりは毛頭ありません。
でも、現在のほとんどの日本人の情報地図は米国中心で、そこへ迎合することが「国際化」だと思いこんでしまっている。これ、錯覚ですよね。
真の国際人になるには、自国の歴史や自民族の精神史の足どりを知ることが不可欠だと思うからです。そのためにいちばんいい方法は、子どもに日本の書物をたくさん読ませること。これが、国際社会に出ていったときに必要なパトリオティズムを醸成し、ひいてはひとりの人間として成熟することにもつながっていくだろうと思います。
お返事遅くなってしまいすみませんでした。忙しさにかまけ、ブログの更新作業をしばらく完全にお休みしていましたもので。。。
この記事を投稿された方はナショナリズムという言葉の重みをご存知でない、誠に国際的常識に欠けた方だ、という印象をもってしまいます。とても有意義な記事ですし、たくさんの方が読まれることでしょうから、ナショナリズムという言葉はパトリオティズムに訂正して頂きたいです。
ご指摘ありがとうございました。深く考えずに使っていましたが、大辞林や広辞苑をひいてみると、「国家や民族が自己の統一や発展、ほかからの独立をめざす思想または運動」とありました。
たしかに文脈にそぐわないですね。
とても勉強になりました。ありがとうございました。
公私ともすべて国内で完結してしまう、国際社会とは縁遠い生活を送っている、ぼくのような大人の日本人にこそ、インターナショナルスクールが必要なのかもしれません。
かなり右寄りの方が多く残念ですね。
”国際感覚というのはむしろ、パトリオティズム(愛国心)のなかから芽吹く”
”日本人としての核を身につけることで初めて、外国人と対等につきあえるし、彼らのリスペクトが得られる”
一見聞こえは良いですが、国際的な交流がないことを露呈しております。
まずご自分の国際感覚を磨いた方が良いでしょう。
根本的に交流と言う概念からすれば、
欧米人であろうが、アジアであろうが、その他の地域であろうが皆対等です。
国や宗教、文化など関係なく、一人間として皆平等に交流できるかは大事なことです。
更に過度な愛国心は目を内向的にし、日本以外の文化を批判したがる傾向があります。
仮に愛国心でなく日本を良く知るという表現であれば(良い部分も悪い部分も)
当然賛成しました。
と言うのも私も留学及び駐在経験があり、
スレ主さんみたいな思想の肩をごまんと見てきました。
また他国にも似た愛国心を持った方々とも交流を持ちましたが、
総じて言えたのが、相手の立場を考えず常に持論を展開し相手が辟易し
結局母国の人以外にまともな交流ができずに終わってしまっておりました。
自国の良さも悪さも知り、その上で相手の文化も受け入れる。
そうした感覚こそ大事なのではないでしょうか?
コスモポリタン(国際人)でないことは十分に自覚しています。外国人の何人かの友人はいますが、なにせ日常的にオフィシャルに外国の方とやりとりする環境にはいませんし、海外留学をさせてくれるような余裕のある家庭にも生まれ育っておりませんもので。
しかもいまさら磨きのかけようもないのです。じつに残念ですけれども。
しかしてんさんのいう国際感覚というのはちょっとよくわかりませんでした。悪いところには目をつぶって日本を礼賛しようとか、他国の文化は切って捨てようなんて、ぼくはひとことも書いていないです。
そもそも見ず知らずの他人をとっつかまえて右派扱いしたり、国際感覚を磨けとかいったりするのは、日本人としてのぼくのコモンセンス(良識)からすれば、いささかぶしつけで乱暴な気がするのですが。コスモポリタンにだって、他者への最低限のリスペクト、自分と異なる考え方や価値観への包容力、礼節といったものは必要だろうとぼくは想像します。
なお、パトリオティズムの部分はもともと、ナショナリズムという言葉を使っていました。「それ、ちがうよ」という、読者の方からの指摘で変更したすることにしたのですが、このパトリオティズムという言葉もじつはしっくりときてはいません。
というのは、ぼくのイメージしている「愛国心」は、てんさんが最後にお書きになったものとわりと似ているからです。自国の清濁をあわせ呑んで、そのうえで精神にたちあわられてくるなにものか、そこには日本という国――というより、ぼくらの先祖が生きて死んだ、ぼくらのルーツとしての土地――に対する愛着や矜恃、異文化への理解やリスペクトなんかが含まれるだろうなあ、なんて考えているのです。
だから、世界のどこで生きていくにしろ、自国の歴史や文化、国語をまずはしっかり身につけることこそ、なにより大切なのではなかろうか、と。それが、精神の「タフさ」「懐の深さ」につながる、と。
てんさんの周囲の、愛国心をお持ちの方々は「相手の立場を考えず常に持論を展開」していたとのことですが、それはたまたまか、あるいは前記の理由からぼくの思う愛国心の持ち主とは少々色合いが異なるのだと思います。
ぼくのまわりにいるコスモポリタン――総合商社の海外担当や、国境を越えて活躍するカメラマン、新聞社の海外駐在員など――はみんな深い教養に裏打ちされた愛国心の持ち主ですが、それをひけらかしたり押しつけがましい議論をしたりはしません。日本に対する批判精神も旺盛です。外国人の友人も多い。
ただ、彼らによると、外国暮らしの反動から過剰に愛国的になる人もいるといいます。異文化を否定したりする。
思うにそのちがいは、愛国心というものが、自分が日本人であることの意味、ひいては自分のアイデンティティーの所在について思惟をめぐらせるための手掛かりとして機能しているかどうか、ということのようにも思います。
いろいろ書きましたが、あくまでこれはぼくの世界観。世界にはいろんなタイプの人間がいて、いろんな生き方があって、いろんなものの見方がある。いろんな言葉の選び方がある。テーゼにはいつもアンチテーゼがある。
むろん、あなたにはあなたの世界観がある。
シニカルなコメントでしたが、時間を割いて書き込みいただいたことには感謝します。ありがとうございました。ただ、ぼくなりに丁寧に注意深く記事を書いたつもりでしたので、読んだときは正直ちょっとめげましたが(笑)。
>”国際感覚というのはむしろ、パトリオティズム(愛国心)のなかから芽吹く”
”日本人としての核を身につけることで初めて、外国人と対等につきあえるし、彼らのリスペクトが得られる
上の方とは違う視点で疑義がなくもないです。
ここでいう愛国心バックグラウンドとしてのそれと重なる部分があるとするなら、
それはかえって日本だけの環境で育つよりも、異文化の中で、ないしは
異文化と接する機会が多くある環境のほうが、自身の日本人としての背景を意識し
「日本人性」を自覚することにつながるからです。
それがインターでは身につかない・・・というのは聊か偏見に思います。
もちろん、上の方がおそらく批判されているような閉鎖性や排他性を強く含むような
「愛国心」であれば、その限りではありませんが、それはまた別の問題であることはお分かりになると思います。
また、授業料に関しても、確かに「もっと安いところもあります」と書かれていますが、
インド人学校など、欧米系でないインターでは1/2から1/3程度のところもあるのでは?
現在では中国人学校に子供さんを入れる親が増えているという話もありますが、
間違った表記ではないにしても、ミスリードを促すような記述かと思います。
一般の私立小学校、私立中学校と変わらない額なのであれば、
インターではなく、義務教育に国公立以上のお金を費やすこと自体を批判すべきでしょう。
とはいえ、もちろん、考えもなしに子供さんをインターに入れるようなケースを手放しで賛美しようとは思いません。
親にもある程度以上の語学レベルや国際的な視野が必要なのも頷ける部分ですし。
ただ、全体のニュアンスとしてまだ偏りがある印象を受けましたので、簡単に書かせていただきました。
長いコメント、どうもありがとうございます^^
最初の「愛国心バックグラウンドとしてのそれと重なる部分」というのがちょっとよくわかりませんでした(ぼくの理解不足でしたらすみません)。
ともあれインターナショナルスクールに行けば、国語を学ぶ機会が減るのは事実のようですし、日本語力の低下、あるいは幼少期に他国語で思考する習慣を身につけることは、「日本人性」(という言葉は聞いたことがないのですが、「民族性」というニュアンスでしょうか?)に何らかの深い影響をおよぼすだろうなあなんてぼくは想像するのです。人間は言葉でものを考える生き物ですからね。言語学者の指摘を待つまでもなく、母国語の言語体系や語彙というのは、ぼくらの思考の枠組みや世界観を支えるいちばん重要な土台となっています。
記事に偏りがあるというご指摘については、たしかにそういうことはあるのかもしれません。ただこれはあくまでぼく個人の見方です。世の中にはいろんな意見があってしかるべきだとぼくは思いますから、「あなたのその考えは偏っているから修正すべきだ」などと思うこともないです。
さろさんのコメントは貴重なご意見として拝読させていただきました^^
まさに!!!!お見事!!私も全く同じことを思っています。日日が最近インターに行きレベルを下げると言うような事になって悲しいです。。日本人のご家庭は英会話目的ではインターナショナルスクールにはいらないで!インターは英語を学ぶ学校ではありません。。日本語を母国語語としない色々な人種の方がこられるからたまたま世界共通語である英語にしただけで、英語を学ぶ学校ではなく英語で学ぶ学校なのです。自国のこともしらない子がいくら英語が話せたところでグローバルでオープンマインドな人材になれるのか??あと、インターに入れておきながら日本の教育理念のような要求をするなら、日本の学校へどうぞ。。インター =自由 と言う昔の発想も辞めていただきたい。。マナーは世界共通ですから。。親が英語が話せないからと日本人である子供をインターにいれるのはかなり不自然ですよね。。英語も日本語も伸び悩みます。。私は今までインターをすでに卒業して社会に出ている方達とお話しする機会がありましたが、バイリンガル(一般的レベルの水準以上で海外でもある程度教育や教養のある方達との会話ができる)にするには至難のわざです。。なので軽い気持ちやステイタスでインターに来られるなら辞めてください!子供の為にも覚悟をしてきてください。。子供は自国のこともインターに行きながら学ばなくてはいけませんし、インターで英語だけを学ぶと言う考えも辞めていただきたいです
あと、就学義務違反を犯してまで行かせる意味をお聞きしたい。一応文科省でも以下のような事が書かれてあります。
日本においては法令上の定義や規定はないが、文部科学省の中央教育審議会はインターナショナルスクールについて、「主に英語により授業が行われ、外国人児童生徒を対象とする教育施設」、と捉えるのが一般的であるとの見解を示している
二重国籍者に対する特例
二重国籍者については、「家庭事情等から客観的に将来外国の国籍を選択する可能性が強いと認められ、かつ、他に教育を受ける機会が確保されていると認められる事由があるとき」には、保護者と十分協議の上、就学義務の猶予または免除を認めることができる」との通達が、昭和59年に文部省(当時)からなされている[1]。
ネイディブ並みに話せてもネイティブがいるわけで中身がない、自国のことを聞かれても何も知らない?では英語ができるただのバカになりますよ!日日はよーく考えてからインターにお入りください。海外の大学に行きたいのなら日本の大学からでも編入もできますし、私のお友達もイングリッシュスピーカーが多いですが、みなさん日本の学校で教育を受けて海外の大学に行かれてます。
これまた長文コメントありがとうございます^^
インターナショナルスクールだのなんだの、日本人で、ハーフとかじゃないのにそんなところに通わせるような人は変な人ばかり。インターナショナルスクールってなんかカッコイイから、そういう理由で通わせてる親が多いんだろうね。
この記事とっても頷ける。
理由はそのご家庭によってそれぞれだと思いますが、ファッションとかイメージにとかく影響されがちなのは、ぼくら世代の特徴かもしれないですね。書き込み、ありがとうございます^^
アメリカ人の妻を持ち、アメリカ在住の日本人です。
我が家にはまだ子供はいませんが、子供ができたらハーフになります。ですが、普通に現地の学校に通わせ、インターナショナルスクールに通わせたいとは思いません。子供には日本人の子に生まれた事実ともに、アメリカで育ったということも大切にしてほしいからです。
個人的にインターナショナルスクールは、教育水準の著しく低い国に駐在になったときに行かせる程度のものだと思っており、ハーフの子も含め日本で育った子供をインターナショナルスクールに行かせるのには疑問を感じます。子供は育った環境から自然に自分なりのアイデンティティを形成していくもので、親は特定のアイデンティティを子供に押し付けるべきではないと思うからです。ハーフの子供だとか生まれたとき外国にいたからといって、日本でインターナショナルスクールに通わせるのは、親が子供に「国際人」のような勝手なアイデンティティを押し付けて自己満足してるだけのように感じます。
特に日本社会で「日本人」として受け入れられるためには、礼儀や言語など非常に多くの要素があります。日本で育ち将来日本で生活する可能性の高い子供に、それらの教育のチャンスを与えず、その国で受け入れられるチャンスを潰してしまうのはどうなのかなと思います。
結果的に言えば、インターナショナルスクールに入れたことが子供の人生にメリットになることもあれば、デメリットになることもあるのでしょう。ただ個人的には、子供の人生は子供のものなので、彼らが自然になりたい人間になってくれればいいと思います。
国際人には「する」ものではなく「なる」もので、もっと言えば、本人がなりたくないならならなくてもいいものです。社会が価値を置くアイデンティティを親が無理矢理押し付けるよりも、自分にとって価値のあるアイデンティティを子供が自分で見つけ出してくれることの方が大事なことだと思います。
コメントありがとうございます。べつに国際人になる必要もない、たしかにそうですね。共感できるご意見でした^^
私、大人になってから海外に移住した人間ですが、親に財力があったなら、インターナショナルスクールは行きたかったと思っています。日本の学校は個性を潰し、発想を妨げるところが非常に多い。学校だけではないです。会社もそうです。反対意見を率直に述べることができないので、有意義な議論や会議ができない。グローバル視点に欠けた日本企業が落ちぶれて逝っている理由の一つでもあります。
コメント、ありがとうございました^^
外国人男性と国際結婚した日本人(海外在住経験あり)です。
諸々納得いく点は多かったのですが、他の方も指摘されているように「国際感覚というのはむしろ、愛国心のなかから芽ばえる」という点においては非常に違和感を覚えました。
私は大学卒業まで通常の日本人教育を受け、その後海外留学をしたのですが、協調性・画一的・年功序列をあまりにも重視する生粋な日本人として育った弊害は大きく、本当に苦労をしました。
例えば、多国籍学生の中で積極的に意見を言えない、分からないことを負と感じる、すぐに謝る、年長者に発言できない等、例を挙げればきりがありません。
また、自国の事しか知らない、祖国を愛する学生達に共通したのは、自国のネガティブ評価に感情的になってしまうことだと思いました。私は他国学生から日本のことを、「真面目だが変人が多い国」「豊かなのに自殺者が後を絶たない不幸な国」「物作りはスゴイが無駄な機能をやたら付けて値段を上げている」「アメリカの言いなり」「未だに鎖国中で世界を知らない人が多い」など、日本人なら外国人には言わないようなジャッジの言葉を沢山言われました。私が本当の国際人であれば、きっとこれらの言葉も冷静に受け止められたのだと思いますし、逆に他の国の良い評価悪い評価も公平に発言できる勇気を持ち合わせていたのだと思います。だが当時の私は自尊心を傷つけられ、何か反論できる要素を探すリアクションを無意識に取っていました。
長く海外にいる中でようやく偏り少なく物事を考えられるようになりましたが、日本の教育は良い点ももちろんありますが、国際人を育てるそれからはかけ離れていることを痛感しています。しかも日本の歴史すら中途半端にしか教えてないのですから、、特に海外なんて大戦中(世界歴史の中ではメインイベントの一つ)
のことをよく勉強しています。日本なんて年号とイベントだけで、本当に薄い内容です。愛国心が偏ったナショナリズムになりそうで怖いですし、海外に出た時に恥をかきます。
因みに外国人旦那は3カ国で育っており、正直祖国や愛国心なんて無く、本当にオープンに公平で、育った3カ国のことだけではなく世界史にもよく精通し、なんだか地球人という感じです。笑
国際人とは、祖国に対してどうかや愛国心ではなく、外の世界・自分の歴史や文化とは異なる人々に対しての公平さを持ち合わせている人だと思います。
そこだけ意見させていただきたく、長文失礼しました!
日本の社会に協調性や均一性を重んずる傾向があるのはたしかですよね。それは、基本的に単一民族国家で、ぼくらみんな邪馬台国のころから同じ言葉を喋っていて、ほかの国に侵略されたことが一度もなくて、封建時代のような身分格差ももうなくなっていて、歴史や文化、習俗を共有している、というようなことがおおいに関係しているのだと思います。
そういう社会だから、どんなレベルでも――親子でも親戚でも、あるいは地域社会とか会社とか、もちろん学校もそうですが、その共同体の内部だけでしか通用しないような価値観や言葉が存在していて、集団の価値観や言葉は個人のものより力を持っていて、暗黙の了解とかあうんの呼吸みたいなものがいまもしっかり機能していて、はっきり意見を言わなくても伝わる、わかってもらえる、みたいなことがある。反対にそういうものを軽んじたり無視したりすると、周囲から浮いてしまう。反感を買うこともあるわけですね。
子どもたちの世界も同じようなものです。同じものを食べて、同じお笑い番組で笑って、同じ映画やドラマで感動して泣いて、みんなが大好きなプレイスポットとかスイーツ店とかあったらすっ飛んでいって、SNSとかでいちいちそれを報告しあって、「みんないっしょ」を確認しあって安堵している。自分と他人との境界が曖昧になるような、何か正体のよくわからない連帯感の雲にすっぽりおおわれていて、それは学校を卒業して社会人になって自分を取り巻く顔ぶれが変わってもずっと続いていきます。
つまり学校の教育制度だけが、異様な協調性を国民にすりこんでいるわけではなくて、日本の社会全体で子どもを均一化していっているというのがほんとうではないかと思うのです。欧米の子どもが日本の子どものようにスポイルされていないとしたら、それは教育制度の差というより社会構造の差ではないかと思うわけです。日本とちがって、人種とか宗教とか言葉とかいろいろありますからね。
もちろん現状、日本の学校が国際人を育てるられるかというと、さこさこさんと同様、ぼくも難しいと感じます。国際感覚というのはおおむね教養に支えられているもので(自分の意見がはっきり言えない、というようなことは、どちらかというと個人のメンタリティの問題で、日本社会の環境圧力に適応するために身につけたものですから、環境が変わればそのうち解消するように思います)、実用に値するそういう知識――戦勝国側の視点ではない、日本人から見たほんとうの日本史とか世界史とか、思想や政治や経済の来し方行く末とか、民族固有の価値観と世界の普遍的価値観とのギャップとか――を日本の学校は子どもたちに教えることをしていないからです。
外国人から自国を侮辱されても、議論をふっかけられても返す言葉がない、というのはまさしくそれが原因だと思います。語るべき言葉がない、それがいやなら独学するほかないですよね。子どもに国際感覚を身につけさせようというなら、親が教えるしかないです。
あと国際人の定義というのは、手持ちの辞書では、「教養や語学力があって世界に通用する人」とありますので、さこさこさんのおっしゃるように、べつに愛国心なんかなくたって「世界に通用する人」になることはできるのかもしれませんね^^
海外にかなり長い間住んでいて現在日本に帰ってきて子供達の自国の教育システムのインターナショナルスクールに入れました。
同じ国のシステムなのになぜ「インターナショナルスクール」と言われるのか?当初不可解でした。
入ってみて理解しました。自国の人は思ったより少なくなぜこの国の教育を受けさせたいのかよくわからない人達だらけですした。正直なところ立地条件とネームバリューのようです。通学の便がいいのはやはり大切ですし、あまり選択肢のないインターの中でネームバリューを重視するのも今は理解できます。
本当に色んな家庭があって、純粋に夫婦の国の教育を受けさせたい、もしくは親(ほとんど父親)の国の教育を受けさせたい、自国が比較的その国と関連がある、もしくは英語圏出身ではないけれど日本の学校には入れさせられないのでとりあえず、純粋日本人ファミリー………でしょうか?
私が一番驚いたのが、父親が自国人で日本人妻の場合 多くが驚くほどまともな英語が話せず書けずです。一体どうやって夫婦生活送っているんだろう?と思ってしまうほど まともな会話はできません。よって学校の事は夫に丸投げで私は日本語担当ですと完全に開き直っていて、一般的な日本のお子様に負けじと日本の教育、習い事に必死です。つまりカタコトの英語で間に合うほど日本人妻が多いのです。夫たちも日本に慣れてるし日本語を理解している人も多く、まず日本人妻のカタコト英語に非常に寛容です。
自国から引っ越してきた人は限りなく少ないので自国の発音で話す子供がとても少ないのに本当に驚きました。
海外に住んでましたという人のほとんどは、シンガポール、香港、ドバイあたりを回っていて、そこの国ではローカルと付き合うことが限りなく少ない駐在ワールドで生活しているのでまともな英語が驚くほど話せません。「シンガポールはいちおう英語圏で10年住んでて その英語しか話せない書けないの?」と正直驚きました。
子供達の行っている学校は日本人枠が規定ではないに等しいので東日本大震災直後数年以降はよっぽどでないと純日本人でその国に関係のない人たちはもう入れないのですが、震災直後は帰国してしまった人たちの穴埋めでたくさん日本人が入れたらしく未だにかなり日本人の子供達は多く見られます。
子供達の行っている学校では、日本人家庭の夫婦の多くは夫婦両方とも帰国子女で英語で教育を受けている人が多いです。父親は流暢だけれど母親はビックリするほど話せない人もいますが私が知る限り、夫に丸投げ日本人妻達よりずっと自立してよく考えて教育しているように感じます。
純日本人家庭でも上の子供がイジメにあって日本の教育を信じられなくなったという話や、子供が独創的過ぎて日本の幼稚園に馴染めなかった等々の理由でインターを選んだという話も聞きます。有名人の子供達も世間の目が免れるという面である程度は理解できます。基本的にその国のパスポート保持者が優先なので有名人もやはり難しいはずなのに多くはないですがいるのは寄付金でしょうかね?学校も経営なの理解できますけど正直複雑です。
母親が英語がダメだと、どうしても日本人色が強くなる傾向にあるようです(ミックスでも) よって母親は日本の常識に当てはめて教育するのでミックスの子供でもなぜか日本人の様です。日本語教育はもちろん、公文、塾、ピアノ、バイオリン、バレエと本当にものすごいレッスンです。日本の算数もさせていてそれに答えている子供達本当にスゴイです。
そんなに日本にこだわるなら日本の学校行かせればいいのにと思ってしまいます。子供達によると子供達の中でも、グループ分けがあって、英語メインキッズ、ミックスだけど英語色が強い子達、ミックスだけど日本語色が強い子達、日本人キッズで自然に分かれるそうです。家で何語で話しているかどんな遊びをするのかは大きく影響するのでわかります。ちなみに日本人キッズの多くは日本のアニメやゲームやお笑いを見て育つのでノリが違うのでしょう。外国人キッズには馴染みがなさすぎて気味が悪がられている事が多いそうです。
子供達をバイリンガルにさせたいのはわかりますがみんながみんな同じレベルでバイリンガルになるのは子供達の資質が大きいと思います。
裕福な家庭のお子さんだから習い事たくさんできるのでしょうがインターだけに限らず日本の子供達 ルールを守るいい子ちゃんが多いのですが子供らしさが感じられません。社会的な問題でしょうが…………機械みたいで怖いです。
色んなバックグラウンドがあります。これはこれで面白いなと思えるようになってきました。
長文失礼しました!
ほほう。経験者の貴重なご意見を拝聴できて、興味深いです。どうもありがとうございます。
読ませて頂きました。
日本人に嫁いだ日本人です。
近くにインターナショナルスクールが出来て、ご近所のママ達がザワザワしています。インターナショナルについて気になったのでネットで調べ、この記事を読ませて頂きました。
我が家は都会にあります。ご近所のママも、娘さんが5ヶ月の時から毎日英語教室へ行くなど、すごい力を入れている方たちばかりです。
私も負けじとインターナショナルスクールに入れたい!と思いましたが、いざ学校案内を見ましたら英語英語でお手上げでした。結局私は、見栄のためにインターを視野に入れていたのです。この記事を読む前に、区の子供相談に「子供の英語教育」について質問しました。相談に乗ってくださるその方はおばあちゃんの様なお年を召した方でした。その方は話を聞いてくださった後、こうおっしゃいました。「まずは日本語から始めたらどうかしら。日本語にも素敵な言葉はたくさんあるのよ(^^)」それを聞いてママ達と張り合うのをやめました。英語は遊ぶ程度で息子とたまに楽しく聞く程度です。さらにこの記事を読んで本当に良かったです。主人とも折り合いがついて、子供にもストレスを与えなくて済んだのです。ありがとうございました。
本当に、生粋の日本人をインターに入れようなどと、目が覚めて良かったです!低脳な母ですみません(>_<)
低能なんてとんでもないですよ。きちんとご自分なりの答えを見つけられたのですから、十分に知性的ですよ。それにしても区役所のおばあさんの言葉、とっても素敵ですね。
そもそも、教育とは各家庭により考えが違うのだから、インターナショナルスクールに着目する必要性は何だろう?
失敗するならそれはあなた方の人生では無い。
夫アメリカ人、アメリカから日本に来ました。インターに子供が二人通っています。
問題児は日本の公立にも私立にも居るし、アメリカの公立にも私立にも居ますよ!
自分の子供は悪くないって信じる親も、世界中平等にいる。
インターの問題児は日本人家庭の両親の子供に多いって‥‥日本国籍じゃない家庭の子供にも居るよ!
日本の学校とインターを比べるけど、例えば日本の学校では、一体どれだけの子供が命を落としていますか?
日本の学校はいじめが深刻だと思いますよ。
命が無ければ学校も何も意味が無い。
インターに日本人家庭の子供が居なくなれば問題が無くなると思いますか?いやいやいや、
世の中問題だらけ、排他的になるより、生まれた問題から自分も子供も学び、前進あるのみです。
いじめ問題という点から見たら、日本の学校よりインターの方が安心して預けられると私は感じます。
今時、人様の家庭の教育方針で、ガヤガヤするのが虚しいです。
地震や原発、地球上の中では天然記念物になりそうな日本人が、他の家庭のインターナショナルスクール入学でガヤガヤするより、何かと色々問題がありながらも、建設的な内容の記事が読みたいと感じる!
環境問題、自然災害、原発、景気や少子化、コロナや今まで考えもしなかったことが次々と起こる時代です。
人様の選択にガヤガヤするより、自分の家庭が子供とコミュニケーション取れてるかとか、じゃあ学校がより良く子供達が学べるにはどうしたらいいかとか、私達大人はもっと愉しげな未来の話に集中すればいいじゃないですか。
人の家庭をとやかく言うより、自分の家庭を振り返るほうが、結果的に世の中にいい風が流れると思いますよ!
娘とはこれ以上ないくらいに良好な関係を築いていますので、どうかご心配なく。笑
インターについて記事を書いたのは、たんなる気分です。あしからず。それに対して、思ったより反響が大きく、多くのコメントをいただいたのは意外でした。
いろんな意見があります。そのなかには自分とはまるで異なる意見もある。でもそれでいいじゃないですか。
人の数だけ考え方がある。多様性を受容することでこそ、健全な社会が維持できます。みんなこう考えなきゃいけない、なんてことはありません。その点むしろ、単一民族国家に暮らすわれわれこそ、あなた方を見習いたい部分ではあるのですが。
あと文脈からわかるかと思うのですが、この記事は日本人に向けた記事でして、外国の方はイメージしていません。
それと、地球で日本人が天然記念物になりそうとかいうご指摘ですが、どうぞご心配なく。われわれ大和民族はそれほどやわではありません。
にしても、なにをそんなに感情的になっておられるのでしょう。なにがあなたの気分をそこまで損ねたのでしょう。
怒りの裏にはかならず不安や恐怖があります。あなたはなにをそんなに怯えているのか。慣れない異国の地で、なにか問題を抱えておられるのではありませんか。
モナカさん、僕はそっちのほうがずっと心配に思いました。