ルー・リードをYouTubeでふりかえる

ニューヨークのシンボルだったストリートロッカーが死んだ。

享年71歳。

ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのリーダー。ロック誕生から半世紀、その黎明期を支えた男である。

シンガーソングライターでギタリスト。

60年代後半には、ヨーロッパの前衛音楽とストリートミュージックの緊張感を融合させることに成功。パンクやグラム、オルタナティブの登場は彼なしには成立しえなかった。

ロックの歌詞に、木訥な叙情感をもちこんだことも彼の功績のひとつである。

詩人なのである。

経歴がそれを裏打ちしている。

ブルックリンの中産階級に生まれ、反抗の手段として音楽に傾倒。15歳でシングルレコードを発売する。大学入学後は、デルモア・シュワルツのもとで詩を学び、才能を開花させる。『Fusion』誌に自作の詩が掲載されたこともある。

卒業後は、レコード会社の専属ライター&シンガーとなった。そこで彼はジョン・ケイルと出会い、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドが誕生するのである。

ヴェルヴェット・アンダーグラウンドは異端のロックバンドだった。そのせいで、活動期にはまったく世間から認知されなかったが、その後に登場する多くのミュージシャンに影響を与えたことから、解散後には再評価されている。

影響を受けたミュージシャンとは、デヴィッド・ボウイ、パティ・スミス、セックス・ピストルズなどである。

ルー・リード、その音楽と詩の世界に耽溺する

ここから、彼の音楽とともに、彼の半生を追いかけてみたい。

I’m Waiting for the Man

※現在、YouTubeの投稿は削除されています(以下同)。

ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのファーストアルバム『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ』に収録。

アンディ・ウォーホルに認められ、彼のプロデュースで発売されたこのアルバムには、同性愛がテーマの本作をはじめ、社会のタブーを扱った楽曲が多く、一部で高い評価を獲得した。

ヴェルヴェット・アンダーグラウンドというバンド名も、SM雑誌の名前にちなんでいる。

その後、ウォーホルと決別し、67年にリリースしたセカンドアルバムが『ホワイト・ライト・ホワイト・ヒート』だ。攻撃的でノイジーなサウンドが魅力。

この曲は、そんな彼らの新しい作風を代表する楽曲である。

Sister Ray

このあと、バンドはメンバーの脱退と新メンバーの参加などを経て、3枚目のアルバム『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド』をリリースする。

前作とうってかわって、今度はデリケートなサウンドを奏でている。

Pale Blue Eyes

サードアルバムからの1曲。

さらにもう1枚、アルバムを制作したあと、リードはバンドを抜ける。70年のことだ。

そうして、彼はイギリスに渡る。

72年、イギリスの風を浴びて、彼は初のソロアルバム『ロックの幻想』をリリースする。収録曲のうちのいくつかは、ヴェルヴェット時代につくったものの再録音だった。

彼の経歴において、ブレイクポイントとなったのは、ソロ第2弾の『トランスフォーマー』だ。本作には、ヴェルヴェッドの熱狂的信者だったデヴィッド・ボウイと、のちにモット・ザ・フープルに参加するミック・ロンソンが参加。

2人のプロデュースによって誕生した『トランスフォーマー』は全米チャート29位、全英で13位を記録する商業的成功をもたらした。

当時の彼の風貌は、いまからは考えられない出で立ちである。髪は金髪。爪はまっ黒。まるで性倒錯者。グラムロッカーそのものであった。

Satellite of Love

『トランスフォーマー』に収録された楽曲。一度聞いたら耳を離れない。印象的なフレーズが、わたしをとりこにした。

Vicious

これも『トランスフォーマー』から。昔、アンディ・ウォーホルと交わした会話から着想したという詩がおもしろい。

つづく73年の作品『ベルリン』は、退廃の街ベルリンでの悲恋を唄ったコンセプトアルバム。英国では7位を記録する大ヒットを飛ばした。

批評家筋では、『ベルリン』を彼の最高傑作として挙げる向きも少なくない。

次は、アルバムのラストを飾る曲。悲恋の果てにあったのは、からりとした晴れやかさである。

名曲である。

Sad Song

この翌年には『死の舞踏』、翌々年には『無限大の幻覚』、さらにその次の年には『コニー・アイランド・ベイビー』をリリース。

『死の舞踏』は全米最高位10位。自身最高となるヒットを記録し、それから『コニー・アイランド・ベイビー』までは人気をキープしつづける。

が、それ以降は停滞期へと突入する。

次の曲は『無限大の幻覚』から。2枚組アルバムの本作は、電子音ノイズのかたまりといった作風で、1時間以上ものあいだ、ギターの多重録音によるノイズがただただ収録されている。

これがそうである。

Metal Machine Music

停滞期を脱した彼は、89年に『ニュー・ヨーク』で批評家から賞賛を浴びたほか、2003年の『ザ・レイヴン』や、2011年にメタリカとコラボレートした『ルル』などで、その健在ぶりをアピールしてきた。

次は、わたしの好きなアルバム『ソングス・フォー・ドレラ』からの1曲。『ソングス・フォー・ドレラ』は、ヴェルヴェットの元メンバー、ジョン・ケイルとの連名によって、1990年に発表した作品。

この曲はかつての友人で、1987年に死去したアンディ・ウォーホルに捧げたものである。

Hello It’s Me

次は、メタリカとコラボレーションしたアルバム『ルル』の代表曲。

The View

1990年代に入って、リードは長年連れ添ったシルビア・モラレスと離婚。彼が新たなパートナーとして迎えたのは、ローリー・アンダーソン。2人はそろって市民運動や環境運動に精をだす。

かつての退廃的ロッカーはどこへ行ったのか。

模範的市民として、太極拳にも傾倒していたそうだ。

死因はまだ公表されていない。

ただ、最近になって肝臓移植を受けたことがわかっている。

冥福を祈りたい。

写真/イメージカット(photo credit: Jean-Baptiste Bellet via photopin cc

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