突如出現するナスカの地上絵に心を奪われ、1UPキノコの場所を必死で頭に叩き込み、家族の目を盗んで夜中にダンジョンを歩きまわっていたあのころ――。少年時代の思い出がじわりと心を満たしてゆく。
ここはぼく邸のリビング。最近Wiiに夢中の娘に、父が子どものころ夢中だったテレビゲームの楽しさを知ってほしくて、ほこりまみれのファミコンを30年ぶりに引っ張りだしてきました。
せっかくだから大きな画面でやろうと思い、ホームシアターの100インチスクリーンに、まず『ゼビウス』を投射。ついで『ベースボール』、それから『ファミリースタジアム』『パックマン』『ロードランナー』。さらに『ドラゴンクエスト』『スーパーマリオブラザーズ』……。
プレイするやいなや、父がいくら言葉を尽くしても伝わらなかった楽しさが、娘もすぐに理解できた様子。やはり、テレビゲームは「プレイしてなんぼ」。「ボタン2個しか使わないの? 楽勝」といっていたくせに、何度挑戦しても1面すらクリアできません。うっしっし。
YouTubeにある『マッピー』のプレイ動画(下)を見せたときは「なにこれ……」としらけたそぶりを見せていましたが、こうして自分でキャラクターを操作することで、見栄えのよさとプレイしたときの気持ちよさとはまったくの別物、ということにようやく気づいたようです。
ぼくもどっぷりノスタルジーに浸ってしまいましたから、いまや数兆円産業となった、日本が世界に誇る一大文化“テレビゲーム”の今昔を振り返ってみることにします。
もくじ
インベーダーブームから5年後、寵児ファミコンが産声
ファミコンが発売されたのは1983年7月。アーケードに革命をもたらしたタイトーの『スペースインベーダー』登場から5年、アニメブームの呼び水となった劇場版『機動戦士ガンダム』公開の翌年です。
同時発売されたソフトは『ドンキーコング』『ドンキーコングJR.』『ポパイ』の3タイトル。その後『マリオブラザーズ』を含め、年内に9本がリリースされました。
その翌年には『ドラクエ』が社会現象を巻き起こし、きら星のようなソフトタイトル群の援護射撃を得て、じわじわと独走態勢を固めていくのであります。
むろん、ファミコン=任天堂がいつまでもひとり勝ちを続けられたわけではありません。家庭用テレビゲーム機の歴史は、動乱の連続なのです。
ファミコンの独壇場に切り込んだ次世代ハード機
PCエンジン、メガドライブ、NEOGEO、3DO、プレイディア……。これら“次世代”の冠を背負ったハードが任天堂の覇権奪取をもくろみ、続々と登場し始めるのは1980年代も後半のことです。
バブル経済の追い風を受け、PCエンジンとメガドライブはビジネスとしてそれなりの成功を収めることになります。けれども、任天堂がスーパーファミコンを世に送り出した1990年以降、両者は衰退の途をたどることになったのです。
帝国の牙城はスーファミの登場によりますます堅牢なものとなります。ゲームセンターで対戦格闘ゲームファンを大量増殖させた『ストリートファイターⅡ』の移植、『ファイナルファンタジー(以下FF)Ⅳ』のメガヒットなどが物語るスーファミソフトの充実ぶりは、3DOなどの新型高性能機の追随をもまったく寄せつけませんでした。
2Dから3Dへ――ソニーとセガの宣戦布告で、任天堂が転落
セガサターンとプレイステーションが発売となる1994年の初頭、ポリゴンという言葉が盛んに使われだしました。じつは当時、ユーザーや評論家からは3Dの必要性を疑問視する向きもありました。
ですが、折りしもゲームセンターではフルポリゴンゲームが疫病のような猛威を振るい、そのなかでもとくに人気の高かった『バーチャファイター』を第1弾移植ソフトとして掲げるセガのセガサターン、同じく『リッジレーサー』を移植予定とするソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)のプレステにファンが心奪われないはずがありませんでした。
1994年の11月にサターン、12月にプレステが発売されると、それぞれ40万台、30万台の初回出荷分はたちまち完売。この人気は年をまたぎ、翌年以降ますますヒートアップしていくことになります。
任天堂にはもはやサターン、プレステ両陣営の猛攻を止める手立てはありませんでした。企画内容から生産本数にいたるまで厳重管理をおこなう独自の酷薄なチェック機構も災いしました。かねて不満を抱いていたソフトメーカーがここぞとばかりに任天堂離れを起こしたのです。彼らは甘い水に吸い寄せられるようにSCE陣営へと向かいます。
ROMカセットでなくCD-ROMを採用したことも、両陣営には有利に働きました。カセット用半導体の生産リードタイムは約3か月。ソフトが完成する前から生産本数を決める必要があり、在庫の調整が実に難しいのです。対するCD-ROMは生産そのものが楽なので、受注実数に合わせた供給が可能だったのです。
集大成は『グランツーリスモ』。これをもってSCEは任天堂の王座を完璧に奪取することに成功しました。
ドリキャス、PS2、Xbox……128ビット新世代ハードの登場
ハードの開発競争はさらにつづきます。家庭用ゲーム機のライフサイクルは一般に5年。サターンに見切りをつけたセガは1998年に64ビット新世代機ドリームキャストを市場投下。SCEも2000年にDVDメディアを採用した128ビットのスーパーマシン、プレイステーション2(PS2)を発売。その翌年には任天堂がニンテンドーゲームキューブを発表し、さらに翌年、マイクロソフトはXboxを国内リリースします。
ぼくはこのあたりで、家庭用ゲーム機と完全に手が切れました。
その後もハードの技術革新はとどまることがありません。プレイステーションはすでに4世代目に突入し、今年2月にはPS4を発売。ニンテンドーは2006年に発売したWiiで、SCEから約10年ぶりに覇権を奪還。現在はWii Uが人気です。マイクロソフトはXbox360で健闘しています。いずれも、ハイビジョンと5.1チャンネルサラウンドに対応し、ファミコン時代からは想像もできないような高機能化を実現してます。
ただし、ひと口に家庭用テレビゲーム機といっても、昨今では各社のベクトルの向かう先はまったく異なっているようです。
たとえば、SCEはPSをホームネットワークの中心として捉えており、Blu-rayソフトが観られたり、テレビ録画機として利用したりできます。任天堂はファミコン初期のコンセプトを踏襲し、あくまでゲーム機を子供の玩具とみなしている様子。マイクロソフトはXboxをネットワークエンタテインメントとして位置づけているようで、他社に先んじてネットワーク対応を進め、現在もオンラインソフトの充実ぶりでは、他社の数歩先を歩いています。
変わるビジネスモデル、今後のメタモルフォーゼに期待
単なるパッケージゲームの受け皿から新しい方向性を模索し、変容をつづけるテレビゲーム業界。そこではいま、“オンライン” が重要なキーワードです。発売直後にどれだけ売るかが鍵だった従来のパッケージソフトと違い、オンラインではいかに継続的に楽しんでもらえるかが肝。ビジネスモデルも変化しています。
思い返せば、過去、実に多彩なジャンルのゲームが興隆し、一時代を築いてきました。対戦格闘ゲーム、超大作RPG、音ゲー、ギャルゲー……。なかには、淘汰され姿を消していったものもあります。
昨今、ゲーム業界の落ち込みが叫ばれています。たまにこんな声も聞かれます。
「ぬるいゲームが増えた」
本当にそうでしょうか。ぼくが以前に取材した、セガやマイクロソフトで数々の大型タイトルを世に放った経歴を持つゲームプロデューサーは、「これまでわれわれはハードに振りまわされすぎました。ゲームは今後、映画やアニメ、音楽などと連動し、エンタテインメントに関わる人々全員の作品の出口となってゆくのでは」という青写真を描いておられました。
ファミコン生誕30年余。テレビゲームはこれからが働きざかり。老い先を考えるにはまだ少し早すぎますかね。
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