プラトンの著作、対話篇『国家』には、彼の思う理想の国の姿が描かれていて興味深い。
プラトンは人間を、頭部および胸部、それと下半身の3つに腑分けし、それぞれのバランスで成り立っていると考えた。
公正な国のありかたもそこへなぞらえたのである。
つまり、こういう図式。
肉体 | 精神 | 徳 | 国家 |
頭部 | 理性 | 知恵 | 政治家 |
胸部 | 意志 | 勇気 | 軍人 |
下半身 | 欲望 | 礼節 | 労働者 |
で、哲学者は頭部、つまりは哲学者のような知識人階級こそが首長となって、国家の舵取りせねばならぬ、と考えていたようである。
プラトンのこうした国家哲学には、彼特有の合理主義が色濃くあらわれている。
ちなみに、彼一流の理想国家は、一人ひとりが全体の利益のための役割をになう、という点――三分法において、インドのカースト制度(支配する聖職者カースト、戦士のカースト、労働や商業のカースト)や、わが国の士農工商に通じる面をもつ。
現代のぼくらからしてみるとこれが全体主義に見えるため、眉をひそめる向きもある。実際、プラトンをきびしく批判する哲学者もいるようではある。
が、当時と現代では時代がまるでちがう。
いずれ、プラトンが女性と男性を対等と見なしていたことや、政治化や軍人には家族と財産を捨てるよう求めていたことなどは心に留めおきたいものである。